2020.05.20
国立病院機構 新潟病院こどもとおとなのための医療センター
院長 中島孝先生
看護部長 霜田ゆきえさん
教育担当看護師長 水島和江さん
新潟県柏崎市にある国立病院機構新潟病院は、一般診療と難病などの専門医療を行っています。
2014年にオープンした「こどもとおとなのための医療センター」では、天井走行式リフトを設置し、
患者さんのために活用しています。また、リハビリテーションではロボットスーツHALを活用した最先端の診療を行っています。
天井走行式リフトとHALについて、中島病院長、霜田看護部長、水島看護師長にお話を伺いました。
(中島院長)
私は15年前にこの病院に着任しましたが、その時、この300床規模の病院で、
毎年50人くらいの看護師が辞めたいと言っていました。
その理由は、筋ジストロフィー、重症心身障害児(者)、
難病などの診療をおこなう病院としての大きな課題からくるものだと思いました。
つまり、治らず、病気が進行する患者さんをどうケアすればいいかわからない、というのです。
治らない患者さんだからこそ、看護の力が必要なのですが、とくに経験の浅い看護師はなかなかそれを理解できません。
とはいえ、直面する課題に向き合わなければなりませんでした。
そこで、治らない症状にのみ目を向けるのではなく、患者さんが大切にしていることに目を向け、
そこを支援していくことを提唱しました。
実は、これは言語化されていなかっただけで、すでに先輩看護師はやられていたことでした。
病棟が開棟した当時は、筋ジストロフィーの患者さんは20歳までにほとんど亡くなりました。
それが、新しい治療法や薬が開発されたわけではないのに、適切なケアとリハビリと教育によって、
今では40歳まで生きる人も増えてきました。
患者さん一人ひとりのケアの質を高めていくことが、根本治療薬より現実には重要だということです。
(中島院長)
着任当時はスタッフ数は十分ではありませんでした。
看護師も、リハビリテーションや生活支援するスタッフも不足していると思いました。
スタッフをいかに増やすか、そしてスタッフの負担をいかに減らすかが課題でした。
そのころ、看護部の健康管理上の問題は腰痛対策でした。
移動型のリフトは使用していましたが、患者さんの評判が悪かったのです。
荷物のように扱われているようで嫌だし、怖いと言うのです。
これは、リフトを扱う看護師が不慣れで、しかも設備が未熟なためだと考えました。
そんな時、ドイツやイギリスの病院を見学する機会がありました。
その一つに、オクスフォードのヘレン&ダグラス・ハウスという重度障がい児や筋ジストロフィー患者のショートステイ施設・ホスピスがありました。
たいへん素晴らしい施設だったので、翌年、当院の希望する2名の看護師が10日ほどの実習をさせてもらいました。
そこでは、すべての部屋に天井走行リフトがついていて、1人の患者さんに1人の看護師だけで移動の介助をしていました。
みんなが当たり前のようにリフトを使っていました。
その頃、新病棟の計画を進めていて、天井走行リフトの導入を決めました。
看護師の腰痛対策もありましたが、患者さんの安全と快適のためというスローガンを一番に掲げました。
オープン前にリフト操作の研修を十分に行い、新病棟オープンと同時に使えるようになっていました。
最初リフトを拒否していた患者さんも、使いたいと言うようになりました。看護師の腰痛も劇的になくなりました。
目的を明確にする、研修を十分に行う、きちんとした設備を入れる。この3つを満たせば、リフトの活用はどこの病院でもスムーズにいくと思います。
(霜田看護部長、水島看護師長)
天井走行リフトの導入が決まった時点から、ビデオなどを見て、イメージは掴んでいました。
病棟のオープン前に、まず看護師長と副看護師長が、メーカーの方にフォローしてもらいながら、
実際のリフトを使って練習しました。
看護師長と副看護師長ができるようになって、次に各病棟からリフトリーダーを選出してもらい、
何回か講義と練習を重ねて、病棟オープンと同時にほぼ使えるようになりました。
リフトリーダーの研修は毎年行っていて、今各病棟に3人はリフトリーダーがいます。
その人たちが責任をもってスタッフたちにリフトの指導をしていきます。
それとは別に、新人の研修も毎年行っています。
その後、実践ではリフトリーダーが指導しています。看護師だけでなく、療養介助員もみなリフトが使えます。
(霜田看護部長、水島看護師長)
患者さんには、新病棟では天井走行式リフトが使用されると説明していました。
中には、いやだという患者さんもいましたが、使われているのを見て、
だんだん抵抗がなくなり、リフトを使う人が増えてきました。
病棟には人工呼吸器を装着している患者さんが120人いますが、
人の手で車イスに移乗していた時は人工呼吸器を一旦外していました。
リフトを使うと人工呼吸器を装着したまま移乗できるので、安全だと思います。
移動も楽なので、1日3回、食べられる患者さんはほとんど食堂に行きます。
トイレもリフトで行けます。座っても体位が不安定な患者さんが多いのですが、
リフトを使うと安定するので、患者さんも具合がいいようで、便意、尿意が分かる患者さんはトイレでの排泄が継続できています。
新潟病院は、新病棟がオープンした際に空いた旧病棟の病室を一部開放して
「佐藤伸夫美術館」を開設し、佐藤さんの絵画と書を展示しています。
佐藤さんは柏崎市に生まれ、2歳のとき脊髄性筋萎縮症と診断されました。
中学を卒業してから千葉の病院に入院してましたが、21歳の時に退院して柏崎市に戻り、新潟病院に通院しています。
24歳の頃から絵筆を取り続け、様々な賞を受け、個展も開催してきました。
体調を崩され入院されていた佐藤さんにお話を伺いました。
「この新しい病棟の設備は素晴らしくて、幼い頃に通っていた病院と比べてすごい進歩だと思います。 リフトは、最初は人間味がなくて嫌だと思いましたが、今では、かえって安全でいいと思っています。 われわれ患者にとって、看護師さんはなくてはならない存在ですから、感謝しています」
(中島院長)
私が当院に着任した当時は、筑波大学の山海嘉之教授はロボットスーツHALを
福祉用具として完成させたところでした。それから、10年ほど前からでしょうか、
徐々に、HALには脳神経系の神経回路を書き直す力があることがわかってきました。
そこで、山海教授と私は、共同で難病患者に使えるHALの医療機器開発を始めました。
2010年ごろ、筋ジストロフィー、脊髄性筋萎縮症やALSの患者さんがHALを装着できるようになりました。
難病の患者さんからも電気信号がとれることが確認でき、2012年から医師主導治験を始めました。
厚生労働省からの後押しも得ることができました。
治験で、HALを用いることで、休眠状態の神経機能が賦活化できることがわかりました。
患者さんのQOLを高められることもわかりました。
HALによって神経筋難病患者さんに効果的なリハビリ(歩行運動療法)ができるということで、保険診療として認められました。
現在、8種類の難病に診療報酬が適用されていて、当院では1日8人から9人の患者さんがHALを使っています。
(中島院長)
HALによるリハビリが終わった後の患者さんは、心地よい疲れだと言います。
リハビリを行うことで、筋力も部分的に改善し、持久力もつきます。
とくに年齢制限はありませんが、HALを装着できる身長の制限はあります。
現在、身長の小さい大人や小児にも装着できればと考え、小型のHALの研究・開発を行っています。
また、医薬品と複合治療することによって、難病患者でもかなり改善できるのではないかと期待しています。
たとえば、脊髄性筋萎縮症の薬としてアンチセンサス核酸医薬が開発されましたが、
HALと組み合わせることで相乗効果が期待できるのではないかと、観察研究を始めたところです。
デュシェンヌ型筋ジストロフィーの核酸医薬も治験中とのことで、この薬との組み合わせも期待できます。
アンチセンサス核酸医薬とHALとの複合療法は、まさに時流にのったもので、
これを世界に発信しているのが新潟病院なのです。
当院で、そういう先端的なことをやっているのを、ほとんどの職員は普通のことだと思っていますが(笑)
(記事・写真:千葉明彦)
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2019年新春号)
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