2022.09.26
小林 長子さん( 岩手県看護連盟会長 )
山下 キヌさん( 岩手県看護連盟幹事長代行 )
鈴木 靖子さん( 岩手県看護連盟大船渡支部長 )
金野 節子さん( 岩手県看護連盟大船渡支部前幹事長 )
佐々木 茂光さん( 岩手県議会議員 )
臼澤 勉さん( 岩手県議会議員 )
浦部 和之さん( 岩手県交通株式会社乗合自動車部副部長 )
平山 仁さん( 大船渡市議会議員 )
岩手医科大学附属病院の移転で困っている人がいる
2019年9月に、岩手医科大学附属病院(以下、医大病院)は、盛岡市の中心街から矢巾町に移転しました。ところが、移転後も、大船渡市など沿岸部から、医大病院への直通バスはありませんでした。
「医大病院は県内唯一の大学病院で、交通のアクセスが整わないと、岩手県の医療全体へ影響する懸念がありました。そこで、岩手県看護連盟の支部長たちに、コロナ禍の問題と併せて、困っていないか問いかけました。そうしたら、大船渡の鈴木靖子支部長から、医大病院行きのバスがない、と。大船渡からは途中の日赤病院で降りるバス停がありますが、そこから医大病院には行かずに盛岡駅に行っていました。医大病院に行く患者さんは、盛岡駅で乗り換え、電車あるいはバスで矢巾まで行かなければならないので、たいへん不便で困っている、と」(山下)
「医大病院の移転は、私個人としては、車で行きやすくなって、よかったと思っていました。ところが、県立大船渡病院の総合案内に勤めていた金野節子さんから、医大病院の移転で困っている患者さんがいるという話を聞いたんです」(鈴木)
「高齢のご夫婦から、話がありました。今までは、県庁前で降りて、そこから歩いて医大病院に行けたが、矢巾に移転して、盛岡駅で矢巾行きのバスに乗り換えて医大病院まで行かなければならない。診察・治療を終えたら、盛岡駅まで行って、乗り換えて大船渡に戻ってくる。年金生活者なので、盛岡駅から医大までの交通費が増えたのは負担だし、乗り換えの時間も余計かかるようになって、どうしたらいいか、と。この患者さんの声を病院内の会議で提起したところ、他の患者さんからも同様の声があがっているという情報がありました。そこで、看護連盟の鈴木支部長に相談したんです」(金野)
「金野さんから話を聞いて、当時の山下会長にバス路線の変更ができないかと電話で伝えたところ、すぐに県議会議員に連絡してくださいました」(鈴木)
沿岸部からのバス路線変更の要望を提出
「コロナ禍に対する要望と併せて、バス路線変更の要望も岩手県知事に出したいので、自民党岩手県連の佐々木茂光県議と臼澤勉県議に相談しました。佐々木県議は陸前高田市出身、臼澤県議は矢巾町出身で、お二人とも何とかしたいという思いがあって、すぐに岩手県の保健福祉部にアポイントをとってくださり、要望書を提出しました」(山下)
「県の保健福祉部長から(令和2年の)4月にバス路線変更の要望があったので、バス会社などに働きかけを行っていくと回答をいただきました。それが、5月22日。これを受け、佐々木先生や私たち県議の方も、9月の委員会でとりあげ、働きかけをしておりました」(臼澤)
「かつては、医大病院はバスセンターの近くで、通院の便はよかったのですが、矢巾に移転し、遠くなってしまいました。日赤病院まではバスが通っていましたから、医大病院から送迎バスを出してもらったら、という提案もありました。病院に行く人は、車が運転できる人ばかりではありません。大船渡病院で治療が完結できれば一番いいのですが、医大病院に行かねばならない患者さんもいます。大船渡から、年間延べ600人近くが、医大病院に行っているそうです」(佐々木)
「2020年4月に、佐々木県議が、直接私の家にいらしたので、びっくりしました。山下会長から、バス路線の件で困っている人がいると連絡があったので、詳しく聞かせてほしいと、玄関先で話しました。それで、よくわかった、協力しますとおっしゃって、帰られました」(鈴木)
要望提出でバス会社が動き始めた
「去年(2021年)の12月20日に岩手県交通の浦部さんが看護連盟の事務所にお出でになりました。大船渡駅から医大病院へのバス路線変更の要望がどこから出たのか確認し、その状況を知りたいということでした」(小林)
「岩手県庁から、医大病院への直通便の要望を受けたので、ぜひ検討願いたいとお話がありました。その後、当社の方で、大船渡市に行きまして、医大病院への直通便を要望する声があるのか聞いたところ、把握していないと言われました。それで、直接看護連盟に行ってお話を伺いました。医大病院が移転して、たしかに電車で近くの駅まで行っても、駅から病院までは、ご病気の方には大変な距離だと思います。そういう要望があると受け止めさせていただきました。ただ、当社としては、やはり地元から盛り上がらないと利用につながりませんので、地元の自治体からぜひ要望してほしいとお願いしたと記憶しています」(浦部)
「いろいろお話ししたところ、浦部さんから、県だけでなく、できれば大船渡市長と釜石市長からも要望書を出してほしいと言われました。ただ、釜石の方は電車もバスもあるので、大船渡市から要望書を出してもらおうということになったんです。その時、窓口になってくださったのが、平山仁大船渡市議で、市長と面会するときも同行してくださいました。」(小林)
要望提出で地元も動き始めた
「岩手県看護連盟から、地元の首長からの要望書がないとバス会社が動けないと連絡が来ました。といって、これまで戸田公明大船渡市長に直接お話しするような機会は、ほとんどありませんでした。そこで市議会議員に仲介してもらおうと、平山仁大船渡市議会議員と懇意にしている佐藤さんという知り合いがいたので、平山市議を紹介してもらいました」(鈴木)
「医大病院が矢巾に移転して、バスが不便になったことは聞いていて、気には留めていました。佐藤さんから、鈴木さんを戸田市長に紹介してほしいとご依頼がありまして、すぐに市長にアポをとりました」(平山)
「平山市議の仲介で、1月に、山下会長の後任の小林会長と私と、現場のことを知っている金野さんとで、戸田市長に要望書を出しました。その時、市長から、大船渡市でも内々に見直しをしていて、釜石経由も検討されているようなことを聞きました」(鈴木)
「市長も二つ返事で要望書を出す、と。鈴木さんと一緒に来られた金野さんが、大船渡病院から紹介されて岩手医科大を受診した人が、8か月の間で延べ600人くらいいると伝えました。そんなに多いのなら、バス会社に要望書をすぐ出しましょうと、動いてくださいました。やはり、看護連盟さんが数字を持っていたことが大きかったですね」(平山)
バス路線変更へ動き始めた
「岩手県交通の方も、医大病院の移転に伴い、バス路線の検討を考えてはいたようです。今回の要望書が路線変更の後押しになりました。7月1日から新しいルートの運行を始まりましたが、その1か月前くらいに、県の広報や、大船渡の地域新聞にお知らせが出ていました。陸前高田、釜石経由という、少し遠回りのルートになりました」(小林)
「大船渡市長から、医大病院の方に行く路線を是非設けてほしい、と要望書をいただきました。当社でも、その前から検討しておりましたが、コロナ禍の影響を受け公共交通機関は大変厳しい状況にあり、県や市町村から、公共交通に対して一定のご理解とご支援をいただいておりました。
そのようなご理解やご支援に少しでも応えるために、事業者として、ささやかながら地域の活性化に向けた取り組みを行っていきたいと、大船渡市からのご要望を受けて、7月から新たな路線を始めました。大船渡という沿岸地区からですから、時間的にも距離的にも長い路線になります。釜石市からは、医大病院の最寄りの矢巾駅まで直通の鉄道便があります。
ただ、悪天候時にはたびたび運休することから、バス路線のご要望があり、釜石駅経由にしました。大船渡を出発して釜石を経由して、盛岡から医大に行くルートに設定しております。これまで、沿岸部から直接医大まで行ける路線はなく、盛岡駅、あるいは矢巾駅で乗り換える必要がありました。それが大船渡駅から乗れば、乗り換えなしで医大病院まで行けますから、利便性は向上したと思います。」(浦部)
念願のバス路線が開通した
「地元新聞の『東海新報』に、新しいバスルートが7月1日からスタートすると出ていました。戸田市長にお目にかかった時、私たちには、釜石経由という発想はありませんでした。これまでのバスのルートで、途中から医大病院側に入る道路があるので、単純にそういうルートになると思っていました。
朝早い出発ですが、医大病院到着が9時なので、診察を受けるにはちょうどいい時間です。帰りの時間も15時で、治療を受け一息ついてバスに乗れます。朝早いし、帰りも夜になりますが、患者さんのことを配慮しているなと思いました。平山市議を紹介してくださった佐藤さんは、3月に亡くなりました。バス路線が変更になった7月に、佐藤さんの御霊前に報告しました」(鈴木)
「バス路線変更の実現については、6月の定例会で話しました。利用者は少ないようですが、弱者を救うという意味では、やはり対応しなければいけない。非常によかったと思っています。バス会社にも同じような気持ちがあったんだと思います。大船渡支部長の鈴木さんに会ったら、たいへん喜んでいました」(佐々木)
「今回は命に関わることだったので、公共交通の新規路線がなかなかできない状況ですが、よかったと思います。佐々木県議とも、県と市とがうまくタッグを組めた成功例だと話しています」(平山)
「佐々木先生、臼澤先生をはじめ、議員の先生方が一緒に動いてくださったおかげで、うまく連携がとれました。普段から、自民党の議員の先生方と連絡を取り合い、なんでも言える関係を築いていたことが大きいと思います。7月1か月のバスの利用状況は、あまり芳しいものではなかったようですが、これから少しずつ広めていきたいと思います。ただ、私たちは、患者さんやご家族が困っているなら、小さな声でも吸い上げて、政治の場に届けなければいけないという思いがありました。その点ではよい結果になったと思っています」(山下)
「こうやって、いろいろな方のお力添えをいただいて、ようやくバス路線が変更になりました。今のところ利用者数は少ないけれど、年金暮らしで車の運転もできない、本当に困ってる人がいます。そういう人たちを見過ごすわけにはいきません。会社側は、経営面を考えないといけないのでしょうが、私たちは、弱い立場にいる人をなんとかしたいという思いだけです。本当によかったと思っています」(鈴木)
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2022 OCT-2023 JAN)
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