2021.11.03
徳永旭さん(高知県立大学 看護学部2年生)
取材・構成 今村 美都(医療福祉ライター)
第35回全国高校生による手話コンテストの奨励賞受賞者であり、元高校球児。現在、高知県立大学看護学部の2年生である徳永旭さんは、手話を通じて、看護学生ならではの活動を展開しています。新型コロナの影響も受ける中、看護師の卵は何を想い、その想いをどうカタチにしているのでしょうか。オンラインにて、お話を伺いました。
手話との運命の出会いから、全国手話コンテストへ
徳永さんが看護師を目指すきっかけをくれたのは手話。小学校5年生の時に、母親に誘われて参加した手話サークルで手話と出会い、その魅力にすっかり夢中になってしまいました。聴覚障害者の手話と、傍らでそれを読み取って声にしていく手話通訳者。子ども心にとても興味深く感じられたのだと言います。
「私が出会ったサークルには、子どもも一緒に学んでいこうというカルチャーがありました。子どもに対する指導にも熱意があった。だからこそ、これまで続けてこられたのだと思います」と徳永さん。
中学に入る頃には、手話コンテストの舞台へ向けての挑戦が始まります。サークルの少し上の先輩に、全国高校生による手話コンテストの優勝者の存在があったことも背中を押してくれました。手話コンテストは想いだけで辿り着ける場ではありません。手の動きのスピード、力強さ、聴覚障害者独特のうなずきの間、表情など、総合的な技術が評価の対象となります。徳永さんは、聴覚障害者の方々と積極的に交流の機会を設けて、より広く深く手話を学ぶことで、苦手意識のあった喜怒哀楽を表情で表すスキルも体得していきました。
高校時代は、手話コンテストを目指す傍らで、小学1年生から続けていた野球にも全力投球。高校野球部の主将として甲子園を目指して邁進しつつも、第35回手話コンテストでみごと奨励賞に輝きました。
病院で困難を抱える聴覚障害者の役に立ちたい!
多くの聴覚障害者、通訳の方々と関わっていく中で、聴覚障害者が抱える大きな課題の一つとして見えてきたのが、医療との付き合い方でした。
今でこそ、電光掲示板で受診の順番が表示されたり、病院に手話通訳者が同行するなど、病院が聴覚障害者に配慮するようになってきました。一方で、夜間の受診や救急、入院生活など、通訳者が同行できない場面はどうしても発生します。病気を抱えて、ただでさえ不安な中で、コミュニケーションが取れないことは、聴覚障害の患者の不安に拍車をかけます。ベッドサイドで患者の本音を思いがけず耳にすることは、看護師ならば少なからず経験することでしょう。残念ながら、聴覚障害の患者からは、そうした機会が奪われがちです。
聴覚障害を持つ人たちが本当に困っている場面で役に立ちたいと考えた時、看護師を目指すことは、徳永さんにとってごく自然な選択でした。
看護学生だからこそ、できること
大学の看護学部へと進学した徳永さんは、手話によって聴覚障害者を支援できる医療従事者を少しでも増やしたいとの思いから、手話サークル「UOK手話サークル」を立ち上げました。現在人のメンバーが在籍しています。
「本来であれば、定期的に聴覚障害の方や通訳の方を呼んで、生の声を聞いてもらう機会が持てたはずでした。Zoomでの活動も考えましたが、見える範囲が限られますし、タイムラグも出ます。オンライン上で同時通訳ができないわけではありませんが、わかりづらかったり、実感がわきづらかったりと、やはりリアルな対面のよさには敵いません」と、新型コロナの影響でなかなか活動ができないもどかしさを抱えています。
しかしながら、そこで止まる徳永さんではありません。
徳永さんは、日本災害医療学生支援チーム(日本DMAS)という災害医療を学ぶ学生団体にも所属しています。
日本DMASでは、災害についてのワークショップを都道府県の支部ごとに定期的に開催しています。そのつながりを活かし、5月には、スピーチコンテストで知り合った仲間たちと協働し、手話×災害をテーマにワークショプを開催しました。災害時に現場で役に立ちたいという理想を持つ医療系の学生たちを対象に、聴覚障害者が災害時に困ることをメインテーマとした、実践的な内容です。聴覚障害者には、口頭だけでは、炊き出しなどの大事な情報が届きません。避難所生活が長期にわたれば、補聴器の電池がなくなり、補聴器が聴こえなくなる心配もあります。避難所に必ず一人はいるであろう聴覚障害者とどう関わるのか。こうした基礎的な知識に加え、自分の職業やこれからどんな医療行為を行うのかを説明する、すぐに使える簡単な手話講座を組み合わせたワークショップでした。
「手話に興味を持つ学生はいても、学ぶ機会は限られています。手話の学びを継続してほしい。学生であることの強みを活かして、学内のサークルにとどまらず全国を対象に、自分にできる最大限の活動をしていきたいと考えています」
誰かがやらなくてはならないことなら、自分がやればいい
徳永さんに「将来どんな看護師になりたいか?」ときくと「まずは、手話通訳士の資格を取り、手話の道を極めつつ、看護の道を極め…。でも、聴覚障害だけにとどまらず、身体障害、精神障害、いろんな障害に目を向けて、学んでいけたらと思います。今後は外国人労働者もますます増えていくので、障害の有無、国籍の違いも関係なく、平等に医療を提供するために、自分にできることがあればやっていきたいし、それができる知識・技術を身につけた看護師になりたい」と、力強く語ってくれました。
新型コロナ・ウイルスの感染拡大は、サークル活動への影響だけでなく、徳永さんから実習の機会も奪ってしまいました。
新型コロナ・ウイルスによって、多くの人が、想いを伝えたくても伝わらない、直接話したくても話せないという状況に陥りました。それは、まさに聴覚障碍者が日々抱えている体験では?という徳永さんならではの問いかけに、はっとさせられます。
「新型コロナ・ウイルスで医療が逼迫して、看護師をはじめ医療従事者の方がとても辛い思いをされています。私が看護師になる頃には、コロナは落ち着いているでしょうが、また違う感染症が流行して、たいへんな思いをするかもしれません。でも、大変な状況の中でも頑張れる看護師になりたいと、看護学生としては強く思います。どんな状況でも一人ひとりの命と向き合って、全力で看護する看護師の先輩方には、尊敬という言葉しかないと感じます」という徳永さん。
コロナ渦の最中に看護学生として学んでいるからこそ得られる視点もあるのかもしれません。
救急医療や災害医療の分野を目指す徳永さんは、周囲からは「しんどいよ」「覚えることがたくさんあるよ」と言われることも多いと言います。
「救急医療ないし災害医療は、今の世界に必要な分野だと思いますし、誰かがやらないといけない。これからも絶対に必要なものに、自分は常に突き進んでいきたい。誰かがやらないといけないのであれば、今自分がやれば済むことと考えると吹っ切れるし、誇りを持って取り組んでいけると考えます。現場で経験を積み、最終的には大学の教員として、救急の現場、災害時における障害者対応など、障害者を中心に研究を行いたいとの夢も持っています」
著者プロフィール
医療福祉ライター
1978年 福岡県生まれ
津田塾大学国際関係学科卒。
早稲田大学文学研究科(演劇映像専攻)修士課程修了。
大学在学中、伊3ヶ月・英6ヶ月を中心にヨーロッパ遊学。
『ライフパレット』編集長を経て、医療福祉ライター。
https://www.medicaproject.com/
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2021 NOV-2022 JAN)
2021.05.05
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