2020.10.07
津野 青嵐さん(ファッション・クリエイター/看護師)
矢野 信夫インタビュー・ポートレイト
若手ファッションデザイナーの国際的なコンテスト〝ITS 2018〟で、10人のファイナリストのうち日本からただ一人選ばれた津野青嵐さんは、
精神科の看護師でもありました。
この10月に開催されたAmazon ファッション・ウィークではメインビジュアルのコスチュームも担当。
いま世界から注目を集めている津野さんに、ファッションデザインのこと、看護のことについて伺いました。
受験に失敗して看護大学に入って、でも周りの同級生とは気持ちが違う自分が…
幼いころからものづくりが好きで、クリエイションの道に進みたいと思っていたんです。でも、家族からは、やめた方がいい、 もっといい仕事につけと言われ、自分でも、そうかもしれないと思っていました。それで、クリエイションの次に興味のあった生物学の勉強を しようと国立大学を受験しましたが、失敗して…。浪人して、もう一度進路を考えなおそうと思っていたら、親とおばあちゃんが、急に看護師に なれ、と。それまで、私は、看護師って一度も考えたことなかったんです。コミュニケーションが苦手で、できれば一人で静かに働けるような、 それこそ生物学の研究とか、そういうのをやりたかった。
親たちは、私は不器用で普通の大学に行っても就職できるか分からないから、看護師なら必ず就職口があるだろうという思いだったようです。
すごく泣きました。看護のようなきちっとした仕事は、私には全然合ってないし、好きなことから程遠いので。それでも、願書がギリギリ間に
合って、流されるままに受けて、どうにか合格しました。
そうやって看護大学に入りましたが、同級生はもともと看護の世界で活躍したい人がほとんどだから、全然気持ちが違うんです。それで、
ものをつくることに対する思いがかえって強くなって絵を描いたり、それと併行して、めちゃくちゃお化粧してヘアメイクして、すごい格好して
原宿あたりで遊んでいました(看護大学時代のお化粧は、津野青嵐さんのtwitterで見られます)。大学の勉強なんてほとんどしませんでした。
精神科の実習で衝撃を受けて、初めて楽しいと感じて、看護師になりたいと思った
大学3年から実際に病棟で実習に入るんですが、どの科に行っても、きつくて、しんどくて、病院で働きたくないと思っていました。命に関わる
仕事だし、私には無理、と。
それが、精神科の慢性期の病棟に行って、統合失調症の患者さんと接したら、一人ひとりがすごく魅力的に見えたんです。もう佇まいとか、
表情とか、生活の癖とか、こだわりみたいなものを、一人ひとりがすごく強くもっているんです。こんな人たちっているんだ、こんなグッとくる
環境ってあるんだと衝撃的で、大学に入って初めて楽しいと思ったんです。
こんな私でも行ける道があるかもしれないと、国試の勉強もひたすら頑張って、精神科の病院に就職しました。 配属されたのは、急性期病棟で した。希望したわけではないですが、精神科の中で急性期は比較的医療処置も多いから、新人は急性期に行かされるんです。私は慢性期の精神科で グッときたので、急性期には最初戸惑いがありましたが、それはそれですごい刺激的でした。元から世に出てないところとかがすごく好きで、 閉ざされているものとかに興味がありました。精神科は世間から見たら閉ざされていて、みんなあんまり知らないじゃないですか。だから、とても 気になってはいたんですけど、実際自分がそこに触れるようになるとは思わなかったので。だから、ヘアメイクとかもやめて、1年間は辛かったけど、 仕事一本で頑張りました。
やっぱりクリエイションがやりたい。看護師になって他者の装いを考えるようになった
2年目になって仕事も少し覚えて余裕が出てきたら、クリエイションがどうしてもやりたくなってきました。元々ヘッドピースをつくっていたんですが、 看護師になってからは、自分のではなく人の装いを考えるようになりました。それで、けっこう大きい頭飾りみたいなのをつくってネットに出すと、 オーダーが来るようになったんです。だんだん依頼が増えて注目されるようになって、このまま看護師やりながら趣味でやっていていいのかと 自問自答する時がありました。
クリエイションの教育は全く受けたことがなかったので、またプロが私の作品を見てどう評価するのかを確かめたかったので【ここのがっこう (coconogacco)】というところに、月に2、3回通い始めました。山縣良和という方が先生で、かなり特殊な教育をしている学校です。 【ここのがっこう】は、服の作り方とかは一切教えてくれないのですが、自分が何をすべきなのかとか、装いの意味について深く考えることが できる場所です。ファッションの人だけでなく、物理学者や社会学者、あるいは能楽師の人とか、いろんな人たちが来て、いろんな目線から 自分の作品を見てもらえる面白い場所です。初めて自分のやってきたことに客観的な目線が入って、最初は認めてもらえなくて、悔しくて、だけど 絶対に感動させたい、負けたくないみたいな気持もあって、作品を考え、つくるようになりました。
国際ファッションコンテストITSで、日本から唯一ファイナリストに選ばれる
今年(2018年)6月に、インターナショナル・タレント・サポート(ITS)というヨーロッパ最大のファッションコンテストが開かれました。
うちの学校はそこを目指すことになって、学生は最低5体のデザイン画と5体の制作した服の写真を送ることになりました。
だけど私は、今までヘッドピースしかつくったことなくて、服のつくり方なんて知らない。先生からは、布を縫うとかいう段階じゃないところから
考えろと言われていました。いろいろ探す中で、3Dペンと出合って、これならいけると確信してから、すごい勢いでつくりました。でも、
結局間に合わなくて、2体ぐらいしかつくれなくて、デザイン画だけは何とか5体一気に描いて送りました。それが、ファイナリストに選ばれた、と
連絡をもらいました。とても嬉しかったけど、ファイナリストのうち日本人は私しかいなくて、しかもみんな名門校を卒業してる人たち。
看護師で看護大学出身なんて私しかいなくて、これはヤバイと思いました。
そこから、イタリアに持っていくのに最低5体つくらなければいけないので、いろんな人にお願いしたりして一気に人を集めて、みんなに
この技術を覚えてもらい1か月半で5体作りました。その間にも英語での文書のやり取りがいっぱいあって、プレゼンテーションの準備もするわ、
アピール動画も送るわ、本当にバタバタでした。病院のほうはほとんど寝ないで出勤が続いたんですが、さすがに最後の1か月は働きながらじゃ
病院に迷惑をかけると思い、事情を話したら、特例で1か月休みをいただきました。
なんとかイタリアに5体持っていって、初めてあっちのモデルさんに着せて、フィッターも付けてくれてメイクもして化粧もして、すごく
感動しました。結局、私は賞を貰えず、ショックで泣きました。コンテストは、新しいものを生み出すことに評価を与えるところだったので、
私はファイナリストに選ばれたと思うんです。でも、最後の賞になるとビジネスが絡んでくるので、私の作品は、その視点からすると受賞は
難しいと思います。
いずれにせよ、初めて自分の作品を世界の目に触れさせるという経験をして、今までは日本の一部の人にしか見てもらえなかったのが、
一気にヨーロッパ圏の人からいろいろな言葉がくるようになりました。勝負する場所も目線も、そのコンテストのおかげで変化しました。
見えない世界とコンタクトするのに必要な装いを追求していきたい
今回の作品は、先生から、あまり考えないでつくるようにと言われてる時にできたシェイプです。私は長野県茅野市の生まれで、そこは縄文の ヴィーナスという土偶が発掘されたところです。小さい時からいっぱい土偶を見ていて、そういうシェイプに心地よさや、懐かしさみたいなものを 感じてしまうのかもしれません。それから、私もおばあちゃんも太っているので、そういう丸いふわっとしたシェイプに、一番心地よさを感じて しまうのかもしれませんね。
大学生時代にヤケクソになってやっていた、すごく過剰な装飾は、初めて自分の装いを意識するきっかけとなりました。極端で非現実的な装いを することで、自分自身が、現実じゃない部分に、すごい遠くにいきたいという願望があったと思います。ああいう非現実的な装飾って、 いま原宿の子たちもよくやるけど、古代人も、儀式とかで過剰な装飾をするじゃないですか。古代人は神様と交信するために、そういう装いを するようになったわけですが、自分がやっていたことはそこに根差しているんだということに気づいて、神様とか霊と交信するときの装いの 現代バージョンを作りたいなと思うようになりました。
素材を新しくして、私たちが見えない世界とコンタクトを取るためにどういう装いをする必要があるのかを研究して、作り始めています。
これから、3Dペンの素材の可能性をもっと研究して、実験して、そこから生まれるフォルムとかに、今後引き続き取り組もうかなと思っています。
今は洋服自体も3Dプリンターで作る時代にシフトしていって、今まであったパターンとかも全部PCでできるから、手作業がいらないんです。
そこに逆行するというか、皮肉もこめて、敢えて3Dプリンターの素材を使って、手作業が出す本来の強さを見せたい。その意味でも、この素材を
見つけてよかったなって思っています。
実は、この8月に病院を辞めました。1か月の休暇は病院としても異例だったので、これ以上休めないし、周りにも迷惑をかけますから。
このまま病院で働いていたら、そこでお金は稼げるから、宙ぶらりんになってしまうと思い、若いうちに一回離れて、ぎりぎりの状態で考えないと
いけない、と思ったんです。でも、精神科の看護は好きだし、何らかの形で関わっていけるといいなとも思っています。
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2019年春夏号)
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