日本看護連盟・都道府県看護連盟が 「現場の声」 をまとめ、それを国会の場に届けてくれる看護職国会議員。普段の活動は本誌「国会議員活動レポート」等で報告していただいていますが、「ところで、どんな方なの?」と素朴な疑問はわきませんか?
そこで、日本看護連盟広報委員会のメンバーが主となって「20の質問」を考え、3名の国会議員に直撃質問をしました。「前編」「後編」でお届けします。
※質問への回答は、阿部議員と石田議員からは原稿でいただき、友納議員にはインタビューで答えていただきました。粘り強く質問をしたため「リーガルナース」についての追加質問も含め、回答が多くなっています。
あべ 俊子 Abe Toshiko
衆議院議員
米国イリノイ州立大学シカゴ校大学院博士課程修了(看護学)後、群馬大学・東京 医科歯科大学で講師・助教授を務め、2003年より日本看護協会副会長。
2005年第44回衆議院議員選挙で初当選。
外務大臣政務官、農林水産副大臣等を務め、2024年石破内閣において文部科学大臣を務めた。
現在8期目。
石田 まさひろ Ishida Masahiro
参議院議員
1990年東京大学医学部保健学科卒業後、聖路加国際病院(内科)・東京武蔵野病院(精神科)勤務。
その後、日本看護協会で政策企画室長として看護関連政策の立案・調整に従事。
日本看護連盟に移り、38歳で幹事長。
2013年比例区(全国)にて参議院議員に初当選し、現在3期目。
友納 りお Tomonoh Rio
参議院議員/環境大臣政務官 兼 内閣府大臣政務官
東京医科歯科大学医学部保健衛生学科卒。
同大学院保健衛生学研究科博士前期課程修了。
早稲田大学大学院法務研究科修了。
都内医療機関に看護師として勤務後、都内法律事務所勤務を経て、土肥法律事務所を開所。
2022年参議院議員通常選挙で初当選。
石破政権下で内閣府大臣政務官、高市政権でも政務官を務める。
Phase 1 「素顔」をもう少し知りたい!
ひととなり編
Q1 ご自身を「一言」で表すとしたら、どんなキャッチフレーズになりますか?
「疎通知遠」*1。キャッチフレーズというより、「自分がそうありたいと思っていること」です。いろいろな現場の声を伺い、それを自分のものとし、それらを大局的にみて、遠い将来まで見通す力を磨いていきたいと思っています。
「看護の明日をつくる」。私自身というより、私の活動・ 行動、姿勢を一言で表したものです。
Q2 多忙な日々だと思いますが、「これがあれば頑張れる!」という自分へのご褒美は何ですか?
チョコレート! ちょっといいチョコレートをちょっとだけ! それから子育て中ですから、やっぱり「子どもたちの笑顔」ですね!
Q3 国会ではスーツ姿でしっかりした印象ですが、学生時代や 新人ナース時代はどんなキャラだったと言われますか?
学生時代はワンダーフォーゲル部で先輩に叱られ、ナース時代は医師に意見を言い過ぎてよく叱られた。でも、みんなに可愛がられた。
大学時代は下駄で街を闊歩していました。靴もそうですし、時計やネクタイもそうですが、体をしばることが好きでなく、着るもの履くもの最小限でした。ちなみに大学時代は応援部です。
「食べにいくものを自分では決められない」キャラかな。仕事では自分の意見をしっかり出しますが、食事だけでなく、普段はあまり、これっというこだわりがありません。
Q4 心も身体もリラックスできるのは、どのようなときですか?
あんまりリラックスを求めていません。というか……大抵はリラックスしています。
お風呂です。自宅でも温泉でも、ゆっくり長~く入っていたいですね。
Q5 もし今、長いお休みが取れて、「議員バッジを外して」どこへでも行けるとしたら、どこへ行きたいですか?
奈良時代にタイムスリップしたい。今の日本が形作られた時代だと思います。特に藤原不比等*2に会って話を聞きたい。とにかく原点を追求したいです。
自分では「どこに行きたい」というのがあまりなく、どこというより、「昔、お世話になった方たちに会いに行きたい」ですね。
Q6 明日、世界が滅亡するとしたら、最後に「何」を食べたいですか?
「何」を食べたいというのがあまりなくて……。そうですね、最後は「子どもたち、夫、家族で、ごはんを食べたい」です。
*1 疎通知遠(そつうちえん)は、中国の古典『礼記』に記されている言葉。「知識が広く、遠い将来のことまで見通せる深い見識を 持っていること」を意味する。
*2 藤原不比等(ふじわらのふひと)は、奈良時代の政治家。 藤原鎌足を父とする。 鎌足の死後、大納言・右大臣を歴任し、藤 原氏の地位を安定させた。 大宝律令の制定にも参画した。
Phase 2 原点は同じ。
ナースとしての「共感」編
Q7 看護師になろうと思った「原点」は何でしたか?
「発展途上国の児童労働を減らしたい」「貧困を撲滅したい」と思い、そのための医療人材育成をするために看護教員になろうと思ったこと。
大学での見藤隆子先生*3との出会い。「看護は、人々に生きる喜びを与え、生命をまっとうするまでその人らしく生きることをサポートすることであり、看護学は人間をどこまでも追求する学問である」ということを知ったことです。
いろいろなところでお話ししていますが、高校時代にフィリピンの「マザーテレサの家」を訪問したことです。そこには、死を目前にした方々が運ばれてきているのですが、なんの医療機器もない。
でも、シスターのケアにより、とても穏やかな表情をされていました。そのとき「看護」の力、素晴らしさを感じて、看護という仕事に強く惹かれました。
Q8 臨床現場(あるいは現場時代)で、今でも忘れられない患者さんや、心に残っているエピソードはありますか?
ALSで人工呼吸器の患者さんに、「自分のいのちは自分で決めたい」と言われたこと。
たくさんあります。患者さんに看護の奥深さを学びました。今の役割に直結していることとしては、社会復帰病棟に所属していたとき、看護師が中心となり、年間10人も退院しなかった病棟が数百人退院する病棟に生まれ変わる経験をしました。
自分たちの取り組んだことが、病棟や地域の変革につながった経験は、日本の医療や福祉の未来を見通す際の実践的な根拠となっています。
新人のとき、「告知」を受けていない患者さんがいらして、「自分は今後、どうなるのかな。家族も教えてくれないから教えて」と言われました。1997年の医療法改正でインフォームド・コンセントが努力義務化されましたが、当時はまだ十分定着はしていなかったと思います。私、そのとき相当悩みまして、結局、先輩に相談して、家族のご判断におまかせしました。
私は 「患者さん自身の知る権利はある」 と思いました。説明と同意はとても重要だなと意識をするようになった患者さんとの関わりでしたね。
Q9 国政の場にいて、「今、つい看護師のクセが出ちゃったな」と思う瞬間はありますか?
困っている人がいたら、すぐに手伝いたくなる(党が違っても)。
この界隈にはユニークな行動をする人が結構いますが、「何がそうさせるのかな」と、ついアセスメントしてしまいます。
国政の場に限りませんが、普段から、いろいろな人の「靴」を見てしまいます。政治家ってお年をめした方がけっこういらっしゃいますから、ついつい 「転倒アセスメント」 をしてしまいます。
Q10 現場で働いていたとき、「ここが理不尽だ!」「もっとこうなればいいのに!」と一番悔しく思っていたことは何ですか?
ナースが忙しすぎる! 記録も減らし、夜勤手当は上げたい。
仕事の割に給料が低いと思いました。しかし、給料は人が上げてくれるのではなく、「自分で上げていくものだ」と気づき、仕事の仕方を自主的に行動するスタイルに切り替え、「理不尽を悔しく感じるのは自分自身の課題だ」と思うことにしました。
医療事故の原因分析ですね。看護師は最終行為者になる機会が多いので、つい「責任は看護師にある」という流れになることが多いのですが、それは違うと思うんです。いろいろな職種の関わりがあり、その積み重ねの中で医療事故が起きるわけで、その原因分析はしっかり行って、その上で対策をとるべきだと思います。
Q11 看護の現場は日々ハードです。今、現場で歯を食いしばって頑張っているナースたちに、先輩として一言声をかけるなら、なんと伝えますか?
自分をほめてあげよう! そして、今の大変さを解決できるのは「あなた自身」。看護連盟はナースの課題解決に頑張ります!
看護の現場では患者さんをはじめ、さまざまな人が看護師から病気を治す力、生きる力をもらっている姿を見てきました。そして、私たち看護師も患者さんから学ぶこと、力をもらうことがたくさんあります。看護はきっと、あなたを大きく成長させてくれます。
一番は「現場で頑張ってくれてありがとうございます!」です。日本全国多くの施設をまわらせていただいて「頑張って!」と直接声をかけたいと思う若い方たちも多いのですが、大変な中でも笑顔がみられるところは管理者の方が素晴らしいですね。だから、看護の仲間として、そういう管理者の方たちにも 「頑張ってください!」 とお伝えしたいです。
*3 見藤隆子(みとうたかこ)は、現代日本の看護教育や倫理の発展に大きく貢献した看護学者。日本看護協会長・日本看護連盟会長を歴任。長野県看護大学名誉教授。2012年に逝去
(掲載:日本看護連盟機関誌N∞[アンフィニ]N∞ 2026年春号)