インタビュー
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前編「こんな施設が欲しい、つくりたい」が集まってできた「雲のポッケ」

2020.05.23

平成30(2018)年10月、長野県松本市の郊外に、一軒家を改築した「雲のポッケ」という、障がい児・者デイサービス施設がオープンしました。 障がいをもつ子どもたちの生活介護・放課後デイサービスを行っています。 病院のなかでは障がい児を抱えた家族に寄添うことはできないと考えていた看護師と、通所施設が欲しいという家族の思いが一致して誕生した施設です。
1日の定員は7名で、利用登録者は現在25 名。 土曜日は定休日で、1か月の延べ利用者数は130~140 名です。 利用者全員が自立歩行ができず全介助を必要とし、呼吸器装着者・気管切開・胃ろうなどの医療的ケアの必要な利用者が7割を占め、13人のスタッフが運営に関わっています。

取材 三輪百合子(長野県看護連盟会長)

雲のポッケの立ち上げ

相談支援専門員で看護師資格をもつ林律子さんは、精神障がい者の施設に関わっていました。 その施設で重症心身障がい児も預かることになり、重心の子と関わるようになりました。 ご家族から、子どもを預ける所がないという声が聞こえてくるようになったところ、長野県立こども病院の看護師だった赤堀明子さんと出会います。

:高齢者だと、ケアマネジャーが津々浦々にいて、 お年寄りが困っていると地域のいろいろなサービスにつなげます。 子どもの場合は、そこまで仕組みが整っていません。 また、重症児は人工呼吸器を装着して胃ろうを造設している子もいれば、 身体の緊張が強い状態の子もいて、一人ひとりへの関わり方が違います。 子ども専門の事業所の存在意義は、そういうところにあると思います。

赤堀:そこでNPO法人こすもけあくらぶ の小野恵嗣さん(前長野県職員)が登場します。 高齢者の介護施設を運営していた小野さんの所に、重症児を預かってほしいとお母さんが相談に来ました。 それで、松本市にも重症児を預かる施設を作らないとダメだ、という話になりました。
手続き関係の事務仕事が得意な小野さん、相談支援のわかる林さん、訪問看護をやっていた望月仁美さん、 そしてこども病院で看護師をしていた私が顔を合わせて、勢いでつくっちゃいました(笑) (小野さん、赤堀さん、望月さんはかつて長野県立こども病院で一緒に働いていました)

:それでも、赤堀さんがなかなか病院を辞められず、 最初の予定から半年遅れました。赤堀さんが病院を辞めた次の日に、ここがオープンしました。

赤堀:ここに集まった皆がそれぞれにプロフェッショナルでした。 だから、周りから信頼を得ることができたのだと思います。

三輪:ご家族にとって、大事なお子さんを預けて離れるのは一大決心ですから、 信頼がないとできません。ここができるまで、医療的ケアもできるデイサービスのような所は、 この地域にはなかったのですね。

「雲のポッケ」という施設名は、林さんのご主人である弘さんが考案しました。 弘さんも相談支援員ですが、壁にかけられている絵画も描かれ、マンドリンも弾かれるという多才な方です。 「運転手だけのつもりが、いろいろ巻き込まれてます(笑)」と、利用者のケアにもあたっています。

胃ろうから注入。ビデオを観ながら、お昼。
お昼の後の口腔ケア

 

「雲のポッケ」での子どもたち

軽いストレッチなどリハビリ、入浴、遊び(トランプやカラオケ)、 ちょっとした手作業をしながら、お昼まで過ごします。お昼は、食事介助や、胃ろうのある子には注入をします。 昼下がりはのんびりくつろぎます。マンドリンやタオライアの音色を楽しんだり、天井にDVDを投影し映画を見たりします。 午後2時ごろから、おやつを食べたりジュースを注入してお帰りの準備をしながらお迎えを待ち、3時ごろに皆さん、帰ります。 放課後デイサービスは3時にポッケに到着して、お風呂、おやつ注入、ちょっと一息で5時にはお迎えになります。
そのほか、松本市の保育園に通う医療的ケアの必要なお子さんの訪問事業も、2019年4月から開始しています。

:お子さんの送り迎えは、原則、ご家族にお願いしています。 放課後デイサービスは、養護学校までポッケ号でお迎えに行きます。

突然、真帆ちゃんの人工呼吸器のアラームが鳴り、赤堀さんたちが真帆ちゃんのもとに飛んでいきます。 特に問題はないようでした。落ち着いたところで弘さんがマンドリンで真帆ちゃんを癒していました。

:(真帆ちゃんの様子を見ながら)ここが始まった時は、お母さんは預ける気持ちはなかったようです。 この子は長くは生きられないと説明されてからすべて、お母さんが真帆ちゃんの面倒を見てきました。 とはいえ、真帆ちゃんにはお姉ちゃんも弟もいます。半年くらい前でしょうか、
この子ばかり見ていたのではダメだということに、お母さんが気づいたのだと思います。 初めは週1回だったのが、今は週2回預けて、その間に姉弟のことや、自分のことをやるというように変わりました。

真帆ちゃんの人工呼吸器のアラームが鳴りましたが、特に異常なしで、一安心。
真帆ちゃんは、マンドリンの音色が好きで、落ち着くそうです。

スタッフのみなさん

倉科田加子さん(保育士)
(倉科さんは、難病で重い障がいのあるお子さんを二人亡くされています。23歳と16歳でした)

三輪:いつから、こちらに?

倉科:開所時からです。ヘルパー資格も取ってきました。 以前、ちごちごの会という障がい児の託児サービスで自分の子どもたちを見てもらっていた時、 そこのスタッフのお子さんの見守りをしていました。 その時、ボランティアで支援に来ていた林律子さんや赤堀さんと知り合い、 そのご縁で、声をかけていただきました。保育士の経験はまだ浅いのですが。

三輪:ここでは、主にどんなことをされていますか?

倉科:子どもたちの体のケアや、お風呂、排泄などのケアもします。 体をゆらゆら動かしたり、絵本を読んだり、マッサージしたり…。
スタッフの保育士、篠永美佳さんはずっと重症児と関わってきた経験豊富な方です。 篠永さんの関わる姿勢をそばで見せていただいて、徐々に学んでいる感じです。

三輪:ここは医療の場ではないので、保育士さんたちの活躍はすごい、 子どもへの接し方がやっぱり看護師とは違う、保育士なくして療養施設はあり得ない、と赤堀さんは言ってます。

倉科:子どもたちがかわいいので、ここに来るのは、とても楽しみです。

神戸治さん(理学療法士)
(信濃医療センターを定年退職後、是非と請われて参加)

神戸:片道1時間かかる伊那から通っています。今のところ、週1回ですが。

三輪:伊那からだと、大変ですね!ここで働いていかがですか?

神戸:依頼があった当初は、遠くて本当は嫌だったんですが、 今では来てよかったと思っています。ここは、利用者ファーストで、利用者のことをすごくよく考えてくれている。 1日に40分だけPTが関わったって、状態はよくなりません。 あとの23時間20分は、私以外の人がやるわけです。 普段から看護師や保育士が生活をどう見ているかで、その子が変わります。 それも、優秀な人たちがやってくれる。ここはスタッフがすごくいいんです。だから、遠いけど来ます。

風船を利用したエアマットレス。百均ショップで買ってきた風船を膨らませて、マットレスに。
(左)ベッドに取り付けた小物置きも手作り(右)下半身を覆うカバーも手作り

 

後編は、利用者のお母さんたちにお話を伺います。後編はこちらから

(写真:千葉明彦)

日本看護連盟のコミュニティサイト アンフィニ
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