2023.03.27
永寿総合病院 看護部
大柴 幸子さん(看護統括部長)
武田 聡子さん(副看護部長)
梶原 由貴さん(科 長)
2020年3月、永寿総合病院(東京都台東区)では、新型コロナウイルス感染症のクラスターが発生しました。当時は、未知のウイルス感染症ということで、現場も行政も混乱し、疲弊しました。看護部の当時の苦闘を振り返っていただきました。
インフルエンザ?今までとは何かが違う…
最初に新型コロナウイルスの陽性患者を受け入れたのは、2020年2月14日でした。その患者さんが退院した時点では一旦収まったように見えました。ところが、2月の終わりごろから、具合の悪いスタッフや発熱する患者さんが続けざまに出てきました。
インフルエンザの流行と重なっている時期だったので、感染制御部からはインフルエンザと同じ対応でいいと、タミフルによる治療をしていましたが、スタッフが復帰までにすごく時間がかかっていました。タミフルを飲んでも熱が下がらないとか、下がってもまた出てくるとか、感じたことのない倦怠感があるとか…。今までとは何かが違うと感じ始めました。
感染制御部にもその違和感を伝えましたが、当初はPCR検査を受けるには厳しい基準があって、確認できない現状でした。3月の上旬までは全くPCR検査は行われませんでした。
病棟の閉鎖とコホーティング、陽性者が続々…
PCR検査が始まったのは、3月21日です。初めて当院で陽性が判明したのは、出入りの業者さんでした。ほぼ同時に夜勤専従の看護師が自分の地元でPCR検査を受けたところ、陽性が判明しました。
患者、スタッフにも発熱者が増えはじめ保健所の指導でPCR検査を実施しました。23日に患者2名の陽性が判明しました。翌24日から陽性患者2名が入院していた病棟が閉鎖となりました。その病棟を対象にPCR検査が行われ、スタッフたちは3月26日に検査を受けました。その結果、次々と陽性が判明し、28日に、最初に閉鎖となった病棟と同じフロアの隣の病棟が閉鎖となりました。
初めは陽性者を一つの病棟にまとめましたが、保健所から、4月8日までにすべてをコホートしなさいと指導が入りました。それで、病棟を①陽性患者、②陽性から陰性化した患者、③陽性者と同室になったことのある陰性の患者、④陽性者と接触のない陰性者、の4パターンに分けました。4月8日までに終えるために、病棟ごとに全スタッフで協力しながら、診療科は関係なく患者さんの移動を行いました。本当に大変でした。
最終的に、当院では患者と職員合わせて200名以上の感染が判明しました。
クラスター発生の病棟を知っている看護師がいない!
クラスターが発生した病棟のスタッフは、2週間の出勤停止になりましたので、不安ではあったと思いますが、実際の現場は見ていなかったわけです。クラスターが発生していない病棟から人を集めてきて、クラスターが発生した病棟の患者さんたちの看護に当たらなければなりませんでしたので、勤務している看護師が大変でした。
患者さんは残っているけれど、その病棟を知っている看護師は誰もいないんです。最初にクラスターの発生した5西病棟には25名の患者さんが残っていました。たまたま入院患者の少なかったHCU、整形外科、お産の受け入れをストップした産婦人科、救急からスタッフを集め、さらに地域医療連携センターで病棟経験がある人たちに来てもらって何とか2病棟分の看護師を確保しました。
クラスターの発生した病棟のナースステーション
仕事がない、やりたい看護ができない
この影響で退職者も多く出ましたが、一気に辞めたのではなく、何度かピークがありました。
クラスターの発生直後は、家族から猛反対されたり、小さいお子さんがいて不安でこれ以上働けないと辞めていく人がいましたが、それほど多くありませんでした。
離職者が多かったのは、次の波が来た6月です。その頃は、患者さんの数が全病棟合わせて50名以下でした。どうしても看護師があぶれた状況になります。物資も少ない状況で出勤すればPPEも消費します。そのため、全職種に対し出勤制限が出されました。ただ、休んだ日は給料が6割支給となります。それでは生活できないという人たちが辞めていきました。
その次は、7月の病棟編成が終わり秋を迎えたころでした。整形病棟は単科でしたが、病棟編成で他の診療科が入ってきました。そうすると「私は整形だけやりたかった」という人が辞めました。また、患者さんが来ないので手術が少ない。術後の看護をやりたいと思っていた外科系のスタッフも辞めていきました。
9月以降は、自分のやりたい看護ができないという理由が多かったと思います。結果、トータルで、100人を超えるスタッフが離職しました。
物品がない!人手がない!すべて看護師が?!
当院は、地域の中核病院ということで寄付をいただいており、物品不足については、他の病院に比べるとよい方だったと思います。それでも、ビニールエプロンが足りず、養生シートをアイロンで張り合わせて作ったり、ズボンの脚の部分を切ってビニールエプロンに付けて袖にしたり、帽子みたいにしたり…、そういう工夫はしました。
クラスターが発生すると、多くの業者さんも手を引きました。残ってくれたのは、患者さんの給食を作る方たちと病棟以外の掃除をしてくれた清掃業者のみでした。
発生当初、看護師以外のコメディカルたちは何を手伝えばいいのかわからないと、遠巻きに見ている感じでした。患者さんに一番近いところにいる看護師は、業者が来ないとなると、どういうことが困るのかすぐ想像できます。他のコメディカルは、何をしたらいいかわからないというのは、正直な気持ちだったと思います。業者がいなくなり、看護部だけではまかないきれなくなり、看護部長が感染対策会議で、他の部署のお手伝いをお願いしました。そこから多職種でチームを作り、徐々に皆でやるようになりました。
それで、洗濯は管理課、ゴミの運搬は事務方、病棟の清掃は看護師とコメディカルたちで分担しました。病棟の清掃は午前1回午後1回の2回、共用部分も全部清掃するので、かなりの重労働でした。廊下の手すりなど、皆が触れるような部分は1日2回消毒、床もハイターを撒いて、クイックルワイパーで全部拭いて徹底した清掃を行いました。
患者さんの着るものは洗濯できないので、寄付でいただいたものを使っていましたが、使い捨てでしたのでゴミの量が尋常ではありませんでした。それをひたすら事務方が地下まで運ぶのですが、半日もするといっぱいになってしまいました。その状況が3月から4月にかけて丸1か月間ぐらい続きました。
陽性者に対応した病室は他の病室から隔てられている
陽性者に対応したエレベーター
周辺地域あるいは内部からの声に傷つくことも
地域の方は、比較的早い段階から横断幕を掲げて応援してくださいました。
ただ、スタッフの家族の会社や、学校、保育園から心ないことを言われることもありました。ママさん友だちが、子どもを学校に寄越さないよねってLINEで回してくるので、子どもを学校に行かせられないとか、お母さんが病院に行く前に保育園に送りに来るのはいいけど、病院で働いた帰りには保育園に寄らず、他の人に迎えに来てもらってくださいと言われるケースもありました。
また、スタッフが利用している歯医者、美容室、ヨガ教室などから「お宅の職員が来ているけれど、陽性者ではないのか」という問い合わせが多くありました。患者さんに対応するためにコールセンターを設置したのですが、そういう電話が多く対応に苦慮しました。
外部からの声だけでなく、内部からの言動に傷つくこともありました。クラスター発生中は、防護服の取り合いというか、あそこの病棟よりもウチの方が需要が高いから、ウチに回してくれ、と。ひと段落したら、最初にクラスターを発生させた病棟は謝ってほしい、などです。
行政の対応で右往左往することも
保健所からPCR検査の結果が出てくるのが、夜9時ごろです。そこから夜10時とかに患者さんの移動をするのは大変でした。
行政はこれが揃ってない、あれができていないという指摘が多かったです。どうすれば良いのか、今あるもので最大限何ができるのかを指導してほしいと感じました。
最初は、それぞれ言うことが違うという印象でした。午前中、保健所が言っていたとおりにやっていたのに、午後から入ってきたクラスター対策班には、それは違うと言われる。その指示が行き届かず、対応しきれなかった人が叱られたりしました。
保健所には多々助けられましたが、区をまたいで患者を受け入れると、区によって対応が全然違うのには困りました。東京都に、しっかり指導してほしいと、要望したこともあります。
亡くなられた患者さんに申し訳ないという思いが、今も
当院は亡くなった方が多かったのですが、火葬がしばらくできず、霊安室にも入らないままお預かりしていました。あの状態はどうにかならなかったのかなと今でも思います。クラスター対策班の指導はあっても、亡くなった患者さんのご遺体をどうするかには、全く支援がありませんでした。
多い時は8人ぐらい、ご遺体をお預かりしていました。エアコンが効いてなおかつ人目につかないとなると、ごく限られた場所しかありません。本当に申し訳ないと思いつつ、床に寝かせておくしかないこともありました。そもそも亡くなった患者さんを病院内で納棺するなんて、今までに経験のないことだったので、かなり衝撃的な出来事でした。
アウトブレイクを経験して新しい日常へと移行
現在、入院患者さんにはPCR検査を行い、陰性を確認してから病棟に入ってもらっています。また、ナースステーションの使い方が変わりました。控え室は、狭く、窓が開けられない環境なので、飲食は基本的にはしません。日勤帯で人数が多い時にはステーションとカンファレンスルームに分かれて休むなど、密にならないようにしました。
現在も大人数の会食は控えるようにしていますが、イベントは徐々に緩和しています。やはりみんな大変な経験をしているので、緩和するにしても不安が大きいです。どこから緩めていくかは、感染制御部の課題だろうと思います。
今回のアウトブレイクの経験は『永寿総合病院看護部が書いた 新型コロナ感染症 アウトブレイクの記録』(医学書院)という本にまとめました。こうした私たちの経験が、感染制御部のない小さい病院や訪問看護ステーションの方たちに少しでも役に立てばいいなと考えています。
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2023 FEB-JUL)
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