2023.02.08
リッチャー美津子さん(看護師/フレーゲする人)
取材・構成 今村 美都(医療福祉ライター)
スイス東部、アルプスの少女ハイジの舞台となった村に近い町で、Pflege und Hospiz im Werdenberg(公立医療型ホスピス併設型高齢者障がい者看護介護施設)の看護介護スタッフとして働くリッチャー美津子さん。スイスで学び、習得してきたノウハウを元に、日本での経験を融合した看護介護の形をフレーゲPflege®と名付けて、日本の現場に伝えていきたいと活動しています。
日本から逃れて、スイスへ
元々は看護師として病院で働いていたリッチャー美津子さん。もっとその人の暮らしに関わる看護をしたい、看護と介護の垣根を越えたケアをしたいと考えるうちに、次第に僻地医療や訪問看護に惹かれていきました。僻地で訪問看護に携わったり、行政に入り一人ひとりの高齢者の家を訪問したり、ケアマネジャーも経験しました。その後、全国展開するデイサーブスの会社で管理者として働き、全国510のデイのうち480番目くらいと赤字を抱えていた施設を、半年も経たないうちに全国3位の売り上げに導きました。
「私たちの日々のケアが間違っていないということを示すためには、成果を出す必要があると思っていました。でも、何か特別なことをしたわけではありません。自分の住んでいる地域で、その地域の人を雇用して、地域の中で、自分たちの大切な人を預けられるデイにすることをモットーに掲げて、目の前にいる人を大切にしていただけ。元々赤字のデイなので、介護スタッフが調理に入ったり、看護スタッフもお風呂介助に入ったり、私自身もそうすることで職種にとらわれないチームができあがっていきました」と、美津子さんは語ります。
ところが、会社が彼女に求めたのは、成功したノウハウを使って他のデイを黒字にすることでした。会社の方針との折り合いがつかず、心が折れそうになっていたとき、東日本大震災を機に帰国することになったスイス人の夫に伴い「逃げるように」移住することを決めました。
ボランティアがしたいと施設に飛び込んだ
いざスイスへ来てみれば、車も運転できない、言葉はわからない、ドイツ語のパソコンは使えない、知り合いはいない……の、ないないづくし。鬱々と過ごすスイスでの日々で、何一つできない自分を認めて受け入れるという経験こそが、彼女を変えていきます。
そもそもは病院でも行政でもデイでもどこへ行っても、自身にとっては当たり前の行為やケアに「やりすぎやねん!」とツッコミを入れられていた関西人。ドイツ語学校へ通い、少しずつ話せるようになってくる頃には、本来の何かがしたい美津子さんがむくむくと顔を出してきました。仕事でなくてもいい、何かボランティアがしたいと、現在働いている施設へ、電子辞書を片手に「ボランティアをさせてほしい」と乗り込んで行きました。
早速、寝かせきりになりそうな住人さん(この施設では、利用者を「住人さん」と呼び、その方の家を訪問して働くというスタンスを取っています)たちの住むオアシスというフロアに連れて行かれ、初日早々清拭を任されることになりました。入浴の習慣のないスイスでは日本での感覚とは異なり、清拭は入浴の代わりでは決してなく、基本毎日行われる、大切なケアでありコミュニケーションです。
「外国人で言葉を話せない私が、からだの大切なところを触らせてもらうわけです。どんな言葉でどんなふうに伝えるのか。どんなふうにコミュニケーションを取るのか。清拭はいまでも私の中で大きな大きなテーマですが、初日からこのテーマに向き合うことになりました」と美津子さん。
自分と目の前の人が清拭でつながった
清拭を通じて、スイスで自身が感じていた何もできず何もわからず情けない思いでいっぱいの自分と、からだが自由に動かせなかったり目が見えにくかったり、認知機能が衰えていたりする目の前の人がつながってきたとき、清拭への意識はガラリと変わっていきました。清拭は、人生の最終章には、口腔清拭、手浴、足浴、整容など部分的なものにはなっていきますが、その人の「生きる」を整え、旅立ちのその後にまでできるケアなのです。
最初に清拭をすることになった女性とは、こんなエピソードもあります。その方の引き出しにしまってあった口紅をある日なんとなく小指で付けてみると、もう長い間言葉を発していなかった彼女から「Danke」(ドイツ語で「ありがとう」)という言葉が返ってきたのです。驚いて別のスタッフに伝えると「本当によい笑顔」と共に喜んでくれただけでなく、清拭の後に口紅を付けることが看護計画の中に入れられることになりました。
フレーゲは、五感と経験から生まれる勘を大切に、協働するケア
ボランティアを始めて約4か月が経つ頃、丁寧なケアを続ける美津子さんに、正式に職員として働いてほしいと、声がかかります。少し上達してはきたものの、まだまだ流暢に話せるわけではありません。
「この人は何を見ているのだろう?何の匂いを嗅いでいるのかな?どうやってこの人に触れたら伝わるだろう?」と、感性を研ぎ澄ませてケアする中で、美津子さんにとってのフレーゲが段々形づくられていきました。
五感に加えて、第六感(経験から生まれる勘、インスピレーション。たとえば、今日はこの人はちょっと調子が悪そうだから、清拭はここだけにしておこうといった感覚)をケアに活用していきます。
住民さんと
フレーゲする美津子さん
「フレーゲは、その時その場でしかあり得ない関係の中で生まれるもの。一方で、軸になる型はあって、その手技を伝えることも大切だと感じています。フレーゲの手技はとてもシンプルです。たとえば、親指の使い方はとても重要で、親指は最後に添えるのがポイントです。自分でそこに心を配っている自分が見えるし、相手にも伝わっていきます。特別なことではなくて、看護師や介護士の仕事の中の20〜30秒でできることで、その人の存在を重んじていることを伝えられるのがフレーゲです」
看護と介護の壁をはじめ、日本で抱えていたもやもやの霧が晴れてきたという美津子さん。スイスと日本、両方のいいとこ取りをして、フレーゲを通じて日本とスイスの架け橋になれたらとの思いから、講演やワークショップをはじめ、日本とスイスの施設で働くスタッフの交換研修会を開催するなど、さまざまな活動を展開しています。
安楽死という選択に立ち会って
安楽死が法的に認められているスイスで、美津子さんは神経難病に冒された日本人男性の安楽死に立ち会うという経験もしました。その人にとって必要不可欠であるのか、幾通りにもスクリーニングが行われ、いつでも撤回できるという厳重な体制が整備された上で、安楽死という選択肢が選ばれます。
男性と両親の最後の家族の時間は、淡々とフラットで、ユーモアのある会話とともに、ときに笑いもこぼれるものだったといいます。医療に、未来に絶望し、自らの運命を引き受けた男性の冷静な判断だったからこそ、家族は受け入れ、美津子さんはサポートをする決意をしました。その男性から依頼を受けたとき、既に彼の選択肢を変える時間も手立てもありませんでした。
一方で「安楽死という選択を否定するわけでもジャッジするわけでもありません。でも、もし彼の人生の中で違う医療との出会い方があったなら、どこかのタイミングで希望となる誰かに出会えていたら、安楽死以外の選択がありえたのではないか」その問いは、いまも続いています。
スイスから始まるフレーゲな旅
「スイスという地に呼ばれたんやと思うわ」と語る美津子さんの、フレーゲな旅はきっと始まったばかり。これからも、泣いたり笑ったり、もっと豊かにもっと愉快に、続いていくに違いありません。フレーゲは、日常のあちらこちらにひそんでいます。だから、見つけてみてください、あなたのフレーゲ。
#フレーゲ見つけた。
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2023 FEB-2023 JUL)
著者プロフィール
医療福祉ライター
1978年 福岡県生まれ
津田塾大学国際関係学科卒。
早稲田大学文学研究科(演劇映像専攻)修士課程修了。
大学在学中、伊3ヶ月・英6ヶ月を中心にヨーロッパ遊学。
『ライフパレット』編集長を経て、医療福祉ライター。
https://www.medicaproject.com/
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