レポート
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7月8日、奈良県看護連盟の救護班が遭遇した銃声

2022.09.09

蓮池 豊子(奈良県看護連盟 会長)

第26回参議院議員選挙、その終盤に差し掛かる7月8日、奈良県の大和西大寺駅前で佐藤啓候補の応援演説を行なっていた安倍晋三元総理大臣が凶弾に倒れるという衝撃的な事件が発生しました。救護班として蓮池会長をはじめとする奈良県看護連盟の方々が、その現場に居合わせていました。その時の様子とその後について、お話を伺いました。

急遽決まった安倍元総理の応援演説

蓮池:大物議員が奈良県に入る場合、日程が前もって決まっている時は、応援や救護の依頼が自民党奈良県連から早目に来ます。だけど、あの時は、安倍元総理が急遽奈良に入られることになって、前日の夕方に応援の依頼が看護連盟の事務所に来ました。それで、LINEや電話で会員の何人かに連絡しました。夜、家に帰ってから、奈良県連から私の携帯に救護の依頼が入りました。8時ごろでした。急なので、困ったなと思いました。演説会場は大和西大寺の駅前で、まず支部長に連絡したら「自分も行くけど、他に何人か声かけますね」と言ってくれました。

当日の朝、他の支部長からは、行ける人が誰もおりません、と連絡が入りました。仕方がないと思いながら、演説会場に向かいました。安倍元総理は6月28日にも奈良県で演説していて、その時も救護に行っています。たくさんの人が集まって、安倍元総理はサイン責めにあっていて、気を張るような雰囲気ではありませんでした。今回も、救護班の人数は心配でしたが、割と気軽な気持ちでいました。

7月2日、大和八木駅前で街頭演説会を実施した奈良県看護連盟のみなさん。お揃いの黄色いTシャツ。演説会の締めくくりにガンバロー・コール

炎天下で救護班の準備を開始

蓮池:現場には、支部長が来てくれました。当日、青年部の人が行けるというので、悪いけど救護班をお願いしたいと、連絡を入れました。それで、支部長と青年部、私の4人、救護班ということで黄色のTシャツを着ました。OBの方も来てくれましたが、Tシャツは4枚しか用意していなかったので、私服のまま手伝ってもらいました。合計5人の救護班でした。

7月8日、大和西大寺駅前。救護班の方々
7月8日、大和西大寺駅前。救護班

11時前に集合して、着替えたり、救急箱をセットしたり、血圧計や保冷剤、タオルなどを点検しました。救護室のような場所はなく、炎天下のビルの一角に「救護班」と書いたのぼりを立てただけでした。

銃声のあと、看護連盟と呼ばれた

蓮池:こうして、11時10分ごろから佐藤候補の応援演説会が始まりました。いろんな人が演説に立ちました。安倍元総理の演説を聞いていましたら、突然、パーン・パン、って鳴って…。爆竹や花火とは、ちょっと違うなと思ったら、白い煙が出たんです。

現場から大きな声で呼ばれ「悪いけど三人行って」と、三人に行ってもらいました。その後、街宣車のマイクで「看護連盟の方、看護師さん、看護師の資格を持っている方お助け下さい!」と必死な声で救護の呼び掛けがありました。

青年部:自分も最初何の音かわからず、白い大きな煙も上って、虚をつかれた感じでした。状況を呑み込めないうちに、自民党県連の方が「早く来てー」と救護班の方を手招きしながら叫んでいる姿を見て、ただごとではないと思い、人をかき分け駆けつけました。直ぐに撃たれたのが安倍元総理だとわかりました。首元に撃たれた傷があり、最悪の状況だと理解しました。すぐに関係者に救急車を呼んでくださいと伝えたら「もう呼んでます」と返事がありました。

その時点で、既に意識はなく呼吸もほとんどしていない危機的状況でした。下半身を挙上し、循環血液量の確保に努め、とにかく何としてでも助けなければと、夢中で対応しました。

周りはスーツ姿の人ばかりで、医師や看護師とわかる人はおらず、自分が助けなければと心臓マッサージを開始しました。その後、医療スタッフが集まり、AEDを装着し蘇生を継続してくれました。

7月8日、佐藤啓候補の応援演説を行う安倍元総理。この後、銃声が

ドクターヘリで救急搬送

蓮池:白衣を着た人がAEDを持って、目の前を走っていくのを見ました。安倍元総理は、現場から救急車で搬送されました。その後すぐにドクターヘリで奈良県立医科大学附属病院に搬送されたと、ニュースで知りました。

現場で救護に駆けつけた看護連盟のスタッフに怪我がなかったこと、また聴衆の方々にも怪我人が出なかったことは、不幸中の幸いでした。ただ、異常な状況で気分を悪くされた方が何人かいましたので、私は意識のあることを確認して、その方たちに保冷材を渡しました。そうしているうちに、近所のクリニックのナースが来て、その方たちの対応をしてくれました。

自民党県連の人から「救護班はもう解散して結構です」と言われたので、Tシャツを脱いで帰りました。

事件の翌日以降

蓮池:翌日、石田昌宏参議院議員から、佐藤候補のところに一緒に行ってほしいと電話があったので、副会長と一緒にお見舞いに行きました。佐藤候補は、黒い服を着て応対してくださいました。そのあと、大和西大寺駅前に行って献花をして帰りました。

家に帰ったら、夫に髪の毛どうした、と言われたんです。その日は帽子を被っていたから気づかなかったんですが、髪が真っ白になっていました。慌てて白髪染めを買いに行きました。一瞬で白髪になるとよく聞きますが、本当にあるんだと思った私でした。

9日、10日は、電話作戦もやめました。佐藤候補のところに当選祝いの花束を持っていくのもやめました。

支部長や青年部の心のケアもしなければなりません。周りの方も気遣って、しっかりケアしてくださっているようでした。

青年部:解散になった後、心臓がバクバクしていて、すぐ帰れなくて、休憩してから帰りました。日ごろから連盟活動を通して交流のある近畿ブロックの青年部からも、テレビを見て気遣いのLINEがあり、話を聞いてもらって落ち着きを取り戻すことができました。その後、石田議員からも携帯に直接連絡があり、現場で起きたことをお伝えし、救護活動に対して感謝とねぎらいの言葉をいただきました。職場でも、上司が話を聞いて、精神的に配慮してくださいました。周りの方々のサポートに感謝しています。

蓮池:いつもと同じ救護班のつもりが、思いがけない場面に遭遇し、残念な結果になってしまい、支部長や青年部の方には申し訳ないことをしたなと思いました。ただ、急な応援依頼にもかかわらず、自主的にあの場に来てくれたことは、私は嬉しかったです。

(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2022 OCT-2023 JAN)

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著者プロフィール

蓮池 豊子

奈良県看護連盟 会長

日本看護連盟のコミュニティサイト アンフィニ
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