レポート
placeholder image

何らかの形でこの地とつながりを持ちたい
応援ナースとして釜石で勤務して4年

2020.04.29

金川貴子さん(看護師)

レポート

東京の病院で勤務していた金川さんは、東日本大震災の被災地釜石に移り住み4年以上にわたり 看護だけでなく地域での活動を行ってきました。岩手県看護連盟のみなさんが、金川さんにインタビューしました。
(取材は2018年実施)

右から3人目=岩手県看護連盟の山下キヌ会長、4人目=金川貴子さん、左から3人目=釜石のぞみ病院の中館元子総看護師長

東京で看護師になって…

金川さんは、兵庫県姫路市の出身。高校を卒業後、上京し、いわゆるフリーターをしていました。

「定職には就いていませんでしたが自活していました。 ただ、やっぱり、きちんとした仕事に就こうと看護学校に社会人入学しました。 その学校の学生は6割が社会人入学で、学校の雰囲気にはすぐ馴染めました。 でも看護学校ってやることがいっぱいあるんだと驚き、勉強についていくのは大変でした(笑)」

2011年に、31歳で看護師免許を取得し、都内の病院に就職。CCU勤務で忙しい日々を送っていた金川さん。

「看護師になって3年経ったころ、ふと振り返ると看護をしている実感が今ひとつ湧かない。 看護の仕事は自分には向いていないのでは、と思うようになりました」

釜石のぞみ病院

インタビュー中の様子

釜石で看護の仕事を続ける

そんな時、同僚から釜石市が看護師を募集していると教えられます。

「嫌いではないけれど、好きにもなれないまま看護の仕事を辞めるのは嫌だな、と思っていました。 地方で仕事をしたいという思いもありました。釜石で看護師の自分が力になれることがあるのではと思ったんです」

2014年から、釜石のぞみ病院に支援職員として勤務を始めました。東京の務め先を退職し、住まいも引き払い車も買いました。

「こちら(釜石)に来るからには3年はいたいと思っていました」

ここだからできる、やらせてもらっている

金川さんは、病院勤務のかたわら地域の活動に参加しています。 ひとつは、三陸ひとつなぎ自然学校(さんつな)での活動。 そこが主宰するかまっこまつりに参加したり、栗林地区で開催している放課後子ども教室の運営に参加しています。

「やっぱり地域に出て行かないと…。病院と住まいの往復では、何のためにここに来たのか、わかりませんから」

また、金川さんは、釜石や大槌、山田でヨガ教室を開催しています。

「わがままを言ってインドに行かせてもらい、ヨガのインストラクターの資格を取りました。 こういった病院以外の活動は、全てここだからできると思っています。むしろ、やらせてもらっているという感じです」

釜石のぞみ病院の前を流れる甲子川(釜石Photo Library
薬師公園(釜石Photo Library

これからも釜石と何らかのつながりを持てるようにしたい

金川さんは、その後、結婚を機に東京に戻ることになりました。

「のぞみ病院では、患者さんと接する密度が東京の時とは全然違いました。 その人がどういう背景をもっているのか、考えるようになりました。 看護の仕事についても、自分にとって大きな収穫でした。
東京に戻った後のことは、まだはっきり決めていませんが何らかの形で釜石とつながりが持てたらいいなと思っています。 例えば、ヨガを中心に活動できたら、ちょくちょくこちらにも来られるかなと思っています」

(広報:千葉明彦)

(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2018年秋号)

日本看護連盟

 © 2020 日本看護連盟 アンフィニ