2021.01.13
取材・構成 今村 美都(医療福祉ライター)
ご近所さんが立ち寄っておしゃべりをしたり、おばあちゃん世代が若い母親に子育ての知恵を伝授したり、子どもたちの遊ぶ姿を見守ったり、収穫した野菜を交換し合ったり……、 縁がわは、昔はどの家にも当たり前にあって、人々をつないでいました。
そんな「縁がわ」のような場所を、地域のあちこちにつくろうという熊本県の「地域の縁がわ」。平成16 年3 月に策定された熊本県地域福祉支援計画「地域ささえ愛プラン」で 明記され、県をあげて推進する重要な施策の一つとなっています。
行政の立場から「地域の縁がわ」づくりに関わって来られた、元熊本県健康福祉部部長の森枝敏郎さんを旅先案内人に「地域の縁がわ」を巡る旅へ行ってきました。
いつでんどこでん
一口に「地域の縁がわ」と言っても、高齢者福祉、障がい者支援、子育て支援…、と取り組みの内容は様々です。すでに県内には500箇所以上もの「地域の縁がわ」が存在しています。
今回は、熊本県山鹿地区を中心に、4か所の施設にお邪魔しました。
まず訪れたのが、地域ふれあいホーム「いつでんどこでん」。「地域ふれあいホーム」とは、地域の人々が集う「地域の縁がわ」づくりとともに、
誰もが利用できるデイサービスや一時預かり、夜間宿泊などのサービスを行う、地域密着の共生型小規模多機能ホームを指します。高齢者、障がい者、
子どもと線引きをするのではなく、地域の人が必要とするサービスを柔軟に提供することを目指しています。まさに当事者視点のボーダレスな支援。
「いつでんどこでん」へ救いを求めてやってきた地域の人たちの話を聞いていると、そのバラエティの豊富さに驚きます。認知症の高齢者、障がいのある方々が 生活されているのはもとより、夫のDVから逃げてきた女性の一時避難や未就学児の夜間預かり、小学生から入園前の小さな子どもまで3人の兄弟が住んで いたこともあるそうです。引きこもりになってしまい、親も匙を投げていた高校生は「いつでんどこでん」で認知症の高齢者と生活をともにし「はよ起きんね、朝ばい」 「朝ご飯はちゃんと食べんしゃい」とお節介を焼かれるうちに、昼夜逆転していた生活が改善し、目の前に車椅子の人がいれば進んで押すようになりました。 ついには自宅に戻り高校生活を再開したそうです。
「いつでんどこでん」は、NPO法人コレクティブによってスタートした後、平成20年4月から地域住民が設立したNPO法人よんなっせ山鹿が運営しています。 コレクティブ理事長である川原秀夫さんには、設立当初から、いずれは地域住民によって運営することが念頭にありました。地域住民自らが運営する、 地域に根づいたケアの拠点となっています。「(極力)NOとは言わないをモットーにしています」と、よんなっせ山鹿の野田征男さん。訪問した日は、 週一回の子育てサロンの日。地域交流スペースには、乳幼児連れのお母さんたちが集まっていました。小規模多機能を利用するおばあちゃん2人も参加し、 童謡を歌いながらの和やかな雰囲気に、笑顔があふれます。「いつでんどこでん」では、高齢者の介護予防事業や認知症サポーターの育成事業なども行われています。
菊池れとろ館
次に訪れたのが、特別養護老人ホーム「一本松荘」を軸に、住宅型有料老人ホームやリタイアメントハウスなど、多数の施設を手がける社会福祉法人不動会が運営する「菊池れとろ館」。 取り壊し寸前の古い酒蔵を改修し、地域の交流スペース、食堂、喫茶店、ギャラリー、駄菓子屋、デイサービスセンターを併設する地域交流コミュニティ施設として生まれ変わりました。 中央スペースにはピアノが置いてあり、地域のピアノ教室が発表会を行うこともあります。昔懐かしい駄菓子屋は子どもたちに人気で、よい遊び場にもなっています。 時には、館内のテーブルや椅子で、宿題をする姿も。
入口すぐの食堂ではワンコインの食事とともにお酒も提供しており、デイサービスの前に一杯傾けてから来られるご利用者さんもいらっしゃるとか。デイサービスにお邪魔したのは、 ちょうどランチ時。ご利用者の女性がビール片手に食事を楽しまれていました。この「一杯呑めるデイ」では、ほかのデイサービスに強い拒否反応を示された方でも、 次第に、わが家のように落ち着いて過ごされるようになります。「最近では〝あら、いらっしゃい〞とおっしゃるので、私たち職員のほうが〝お邪魔します〞と、 すっかり立場が逆転してしまいました」と、一本松荘の冨田洋子さん・島田昭彦さん。建物内の小さな階段を昇った先には、隠れ家のようなカラオケルームも。 急で狭い階段をあえてそのまま残すことで、ご利用者さんの「生活の中の自然な機能訓練」につながっています。(余談ですが、喫茶店で提供するトマトカレーは絶品です)
にしはらたんぽぽハウス
3番目に訪れた西原村にある、にしはらたんぽぽハウスは、地域の障がいを持つ方たちの生活支援・作業支援を主としています。ところが「にしはらたんぽぽハウス」を ネットで検索すると「ラーメン」の記事が続々…。いろんな人が訪れる場所にしたいと始めた金曜日の「ラーメンの日」は、施設長の上村加代子さんが 「ラーメンばかりが有名になってしまって」と苦笑いするほど、口コミで知られるようになりました。通常提供しているランチはボリュームたっぷりで 破格の350円。食べきれなかった分は夕食に持ち帰ることができ、地域の人たちの暮らしをそっと支えています。
たんぽぽハウスでは、障がいを抱えた人たちの職業訓練として、ドライ苺、柚子胡麻ドレッシングにねぎ味噌ラー油、レトルトカレーに羊羹と、地域の方々が持ち寄ってくれた 食材を活かして、さまざまなオリジナル商品をつくっています。施設の裏手の戸口には、地域の農家さんが収穫した野菜や果物がいつの間にかたくさん届くようになりました。 地域からのいただきものを商品化していった中には「父親をはじめ、周囲から存在を認められず、視線はいつも下を向き、目は死んでいた」という青年が手がける一品がありました。 通い始めた当初は盗みばかりを繰り返していたという青年は、「役割」を与えられたことで自信を持ち、いまでは最後のラベル貼りにいたるまで全工程を誰にも手出しさせず、 一人でやり遂げるようになりました。
障がい者支援を中心とするたんぽぽハウスですが、DVから逃れて来た人や生活困窮者、服役した人の支援を行うこともあります。身寄りのないおばあちゃんがやってきた際には、 宿泊機能がないものの放ってはおけず、敷地の裏側にバラックで小さな小屋を建て、生活支援を始めました。「隣の建物が利用できることになって、これでやっと宿泊機能が持てます」と、 またひとつ前進するたんぽぽハウスの、近年の課題は「見えない生活困窮者」だと言います。ここにもまた、障がい者支援といった枠を超えて、地域に寄り添う支援を提供する 「地域の縁がわ」の姿が垣間見えます。
いつでんきなっせ
最後に訪れたのが「いつでんきなっせ」です。「いつでんどこでん」で紹介した「コレクティブ」が手がけています。研修会や認知症カフェなどが行われている地域ふれあいホームと、 すぐ目と鼻の先には小規模多機能ホームがあります。森枝さん曰く「認知症ケアの最後の砦」で、特養や老人保健施設、グループホームなどで対応できなかった重度の認知症の方々・ ご家族の拠り所となっています。迷子の認知症の方などがいた場合、警察から直で依頼が入るというほどの信頼を得ている「いつでんきなっせ」は、小規模多機能ホームでありながら、 平均介護度4・5と重度の方々を受け入れており、看取りにも対応しています。
地域ふれあいホームの一室で、地域の縁がわづくりに現場から大きく貢献されてきた、全国小規模多機能型居宅介護事業者連絡会代表でもある川原さんにお話を伺いました。 認知症疾患医療センターが県内に10箇所設置され、医療面からの認知症対策も充実しているかに思える熊本の現状について「医療は後方支援であるべき」と、 森枝さんとともに異口同音にその問題点について指摘されました。視察に行ってきたばかりというオランダの訪問看護ステーションを組織する「Buurtzorg」に ついても触れられました。日本のようにケアマネを介してサービス内容が決められ、介護保険の点数を取るために細かく分業化されたサービス提供ではなく、 直接人と接し、チームで一貫してサービスを提供するBuurtzorg には学ぶところが大きい、と静かな口調で語る川原さん。Buurtzorg では、よい取り組みがあればきちんと評価され、 スキルUPすれば給料も上がるというシステムだからこそ、現場はやりがいを感じ、質の高いケアにつながっていると、これに倣って現場でも実践を始めています。
旅の道中「制度は変えるためにある」など、元行政マンらしからぬ(?)至言の数々が次から次へと飛び出す森枝さん。地域の縁がわを「制度ではなく、概念」だと言います。 「制度は、当事者視点で、現場に応じて変わっていくべきものです。制度にはまらない、型にはまらない。それが‘地域の縁がわ’です」。熊本の魅力、地域力に触れた「地域の縁がわ」を 巡る旅。「熊本には、まだまだたくさんの地域の縁がわがあります。またの来熊をお待ちしています」とおっしゃる森枝さんに別れを告げる頃には、もうすっかり日が落ちていました。
プロフィール
森枝敏郎 もりえだ・としろう
熊本県天草(御所浦島)出身。元熊本県健康福祉部部長。熊本県地域福祉実践研究会代表、くまもと福祉のラウンドテーブル代表幹事。 幼い頃より身近にあった水俣問題は、ライフワークのひとつ。熊本県庁の職員として、30〜40代はまちづくりの経験を重ねる。 2004年4月介護保険スタートと同時に高齢保健福祉課長に。 「認知症ケアの天国と地獄」のような実態を目にし「介護福祉の改革↓イノベーション」を決意。水俣とまちづくりで培った「当事者視点」を活かして 現場と協働する中で、「地域の縁がわ」という言葉と概念が生まれ、県地域福祉支援計画の第一の柱として推進。 県庁退職後も「地域の縁がわ」づくりに貢献し続けている。
著者プロフィール
医療福祉ライター
1978年 福岡県生まれ
津田塾大学国際関係学科卒。
早稲田大学文学研究科(演劇映像専攻)修士課程修了。
大学在学中、伊3ヶ月・英6ヶ月を中心にヨーロッパ遊学。
『ライフパレット』編集長を経て、医療福祉ライター。
https://www.medicaproject.com/
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2016年APR-JUN)
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