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日本の暦と季節感 Lesson.07

2020.10.28

医療スタッフに必要な社会人マナー ~四季を大切にする日本人~

明石 伸子 (日本マナー・プロトコール協会 理事・事務局長)

Q1  〝実りの秋〟や〝食欲の秋〟〝読書の秋〟〝芸術の秋〟など、秋にはいろいろな形容詞がついています。 日本人は秋が大好きなように思いますが、このような日本ならではの季節を大切にする感覚というのは、どのように育まれてきたのでしょうか。

A : 確かに「秋」にはさまざまなタイトルがつけられていますね。人々がこの季節を満喫している様子がよく窺えます。昔に比べて最近は季節感が薄れたと言われますが、 日本人は昔から四季の変化を大切にし、それを意識した生活を営んできました。今回はこうした生活の中に生きる季節感について考えてみましょう。

和装に見られる季節感
花火大会の浴衣に端を発して、最近は若い方も和装に関心をもつようになり、新しい感覚で着こなしているようです。さて、我が国の服装が和装から洋装に大きく変化したのは、 ご承知のように明治維新によって開国し、西洋文化を積極的に取り入れたからです。 明治天皇のお妃であった昭憲皇太后は洋装を奨励され、ご自身も公の場で積極的に洋服をお召になりました。それによって今日、日本の男性皇族の夜の正礼装はテールコート(燕尾服)や タキシード、昼はモーニングコートです。また、以前、秋篠宮家の佳子様のティアラが話題になりましたが、女性皇族の夜の正礼装はローブデコルテやカクテルドレス、 昼はアフタヌーンドレスなので、ティアラは公的な場に参列されるためには不可欠なものです。このように皇族に限らず、一般庶民も生活様式が洋式化したために民族衣装である和装に 親しむ機会は非常に少なくなってしまいました。しかし個人的には、和装のもつ伝統美と華やかさに、大変心惹かれます。

さて本題に戻しますが、日本の貴族社会では古来より季節によって着物を着替える「更衣」というしきたりがありました。それがやがて庶民にも広がり「衣替え」が行われるようになったのです。 また、和装では季節に応じて素材や柄などに約束事があります。一般には以下のように言われていますが、これもだいたいの目安であって、そのときの気候によって変えてもよいでしょう。
10月から5月「袷(あわせ)」…… 表地に裏地を縫い合わせたもの
6月、9月 「単(ひとえ)」……裏地のないもの
7月、8月 「薄(うすもの物)」… 紗や絽など、生地の薄いもの

手紙の中の季節感
日本の手紙には、時候の挨拶が欠かせません。その時々の季節にあった挨拶言葉を冒頭に書くのが昔からの習わしです。 農耕が生活の中心であった日本では、気候の変化が日常の最大の関心事だったのでしょう。 さて、月をあらわす古来からの呼び名を「和風月名(わふうげつめい」といいます。和風月名は気候やその時期の祭事から名付けられたものが多く、 呼び方は地域によっても異なっていましたが、江戸時代になると次第に統一されたようです。現在では手紙の日月などで目にする以外はあまり使われなくなってしまいましたが、 どれをとっても日本ならではの情緒が感じられます。

なお、十月(※)は出雲大社に日本中から八百万の神様が集まると考えられていたため、出雲地方では「神在月(かみありづき)」と呼ばれ、それ以外では「神無月(かんなづき)」と言われていました。

呼び名由来
一月睦月(むつき)正月は人が集まり、互いに睦ぶ(親しくする)から
ニ月如月(きさらぎ)まだ寒く、衣服を重ね着する(衣更着)、など
三月弥生(やよい)木草弥生い茂る(草木が生い茂る)が由来
四月卯月(うづき)卯の花が咲くからという説の他にも複数ある
五月皐月(さつき)早苗(さなえ・田植え)をする月。早月とも言う
六月水無月(みなづき)田に水がなくなる、または田に水をひく、など
七月文月(ふみづき)稲の穂が実る月穂含月(ほふみづき)から
八月葉月(はづき)木々の葉が落ちる葉落月(「はおちづき」から
九月長月(ながつき)秋の夜が長いという夜長月(よながづき)から
十月神無月(かんなづき)
十一月霜月(しもつき)霜が下りるから。
十ニ月師走(しわす)暮れで忙しく、師匠も走るから。

Q2  「旧暦」という言葉を聞いたことがありますが、これはどのような意味なのでしょうか? 昔と今では暦が違うのですか?

A : 暦は時代によって変化してきました。今は、1年の始まりは1月1日からで、1年は365日、そして1日の始まりは夜中の0時からです。 これは「太陽暦」の一つである「グレゴリオ暦」という暦に基づくもので、我が国では明治になってから採用されました。 それ以前は「太陰太陽暦」だったので、これがいわゆる「旧暦」です。

暦の歴史
お盆の時期が地域によって異なるのをご存知でしょうか? 一般には「7月」ですが、旧暦に基づくと「8月」になります。実は日本の暦は、明治5年12月3日まで 「太陰太陽暦」に基づいていましたが、その日を最後に廃止され、同日を明治6年1月1日として欧米の暦と揃えたのです。現在の暦に対して、それ以前のものを「旧暦」と呼びます。 「太陰太陽暦」は古代に中国から伝わったものですが、月の形から「日付」を判断し、太陽の運行から「季節」を読み取るものでした。そのため1か月は、新月(朔日)から 始まり次の新月までとしましたが、それでは1か月が29日か30日なので、1年は約354日にしかならず、太陽の年周期に比べて約11日も少ないために2~3年に1度は調整が必要でした。
また、月の満ち欠けだけでは季節を知るには不十分で、そのため中国では太陽の運行から季節を読み取る「二十四節気」が設けられました。これは太陽の黄道を二十四 等分し、15日ごとに以下のような名称をつけて細かく季節の特徴を表したものです。手紙の季語としても使われていますので、覚えておかれるとよいでしょう。 しかしこの表をみてわかるように、「立春」といっても2月の初旬はまだ冬の真っ最中、とても春になったとは思えません。このように、暦が変わったことで 古来から受け継がれてきた季節の名称や伝統的な年中行事の時期と、実際の季節の間に微妙なズレが生じてしまいました。江戸時代まで受け継がれてきた日本の年中行事が、 近年、廃れつつあるのは、こうした季節とのギャップによるところも大きいようです。

POINT

暦は、人々の生活の基準になるものです。そして日本では、そこに四季折々の特徴がふんだんに取り入れられていました。しかし暦の変更に加えて、 最近では自然環境の変化によって日本らしい季節感も薄れているようです。国の特徴が、その国が歩んできた伝統に基づくものであるとするならば、 今日お伝えしたようなことが忘れ去られてしまうのは大変残念な気がします。

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著者プロフィール

明石 伸子   あかし のぶこ

NPO法人日本マナー・プロトコール協会 理事長   
青山学院大学卒業後、日本航空客室乗務員、会社役員秘書などを経て1996年CS(顧客満足度向上)コンサルタントとして独立。 2003年NPO法人日本マナー・プロトコール協会を設立し、文部科学省後援「マナー・プロトコール検定」の実施を通じてマナーやプロトコールの普及に力を注ぎ、講演、研修などで活躍。 その他、ゆうちょ銀行社外取締役、吉野家ホールディングス社外取締役、NHK経営委員、学習院女子大学非常勤講師など。(2020年4月現在)       
「NPO法人日本マナー・プロトコール協会」

マナーを学びたい方に
協会が実施する通信教育講座「マナー・プロトール検定2級完全合格講座」は、ビジネスマナー、テーブルマナー、冠婚葬祭、季節の贈答、日本のしきたりなど、 日本人として社会人として必須のマナーやプロトコール(※)に関する知識が学べ、さらにこの講座を一定基準以上で修了した方には、文部科学省後援「マナー・プロトコール検定」の 2級が在宅で受験できます。

※プロトコールとは、本来は国家元首間の会談などの公的な国際儀礼のことを指します
「マナー・プロトコール検定完全合格講座」

日本看護連盟のコミュニティサイト アンフィニ
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