2024.02.22
2023年2月より髙原静子会長が日本看護連盟の会長に、同年6月、高橋弘枝会長が日本看護協会の会長に就任しました。その後、11月にかけて、全国6ブロックの合同会議など、ともに活動する機会も多く、信頼関係を深めています。
「日本看護連盟と日本看護協会は両輪の関係にあり、連携して政策実現をしていることを看護職に発信していかなければならない」と語るお二人に、「自らの経歴と特に印象に残ったこと」「看護職の処遇改善等、今の課題とそれに対する協会と連盟の動き」「協会と連盟の連携の大切さ」について話し合っていただきました。
看護管理者として20年にわたり看護職の労働環境を整備
――お二人は、ともに2023年に会長に就任されました。まず、髙原会長から、会長になるまでどのような道を歩まれてきたかをお話しいただけますか?
髙原:63歳まで臨床一筋のキャリアを歩みました。その中で「こうしてほしい」「こうあればいいのに」と自ら意見を述べる看護職が少ない印象を持っていました。私は「おかしい、こうあって欲しいと思うことは質問する」「言わなければ何も始まらない」という思いから、看護管理者としていろいろなことにチャレンジしました。「スタッフが働きやすい環境を整えることは管理者の役割だ」と思っていましたので。
初めて看護部長になったとき、師長の給与が事務職の係長と同等だったことから「患者さんにもスタッフにも責任がある師長なのに、この給与体系なのはおかしい」と異を唱えました。そして看護職の役割手当を経験年数とともに上がっていく仕組みに変更していただきました。
次に看護部長を務めた病院でも、夜勤手当のアップや就業時間・時間外手当の改善、院内保育所の設置などを実現しました。周囲の方々の理解があったことも大きかったと思っています。
定年を待たずに、看護は十分やり切ったという感があり、「全然違う仕事をしてみたい」と思って退職し、その翌月から学校に入学し、第二の人生をスタートさせたのです。
1カ月過ぎた頃、当時の東京都看護連盟会長から電話があり、「次の東京都看護連盟の会長は髙原さんにお願いしたい」とお話をいただきました。学校のこともあり、とても迷いましたが、「20年間、看護管理者を務めることができたのはスタッフの協力があったおかげ。看護職のために少しでも役立てるのなら」と思い、お引き受けしました。
東京都看護連盟の会長になってからは、東京都議会議員をはじめ、各級議員の方々と信頼関係を築き、看護職の味方になってもらうことが政策実現の近道だということを何度も体験しました。積極的に動くことが結果に結びつくということを体現できたことが印象に残っています。
日本看護連盟 会長
1975年東京都立松沢看護専門学校卒業。
同年、東邦大学医学部付属大橋病院入職。
91年東邦大学医学部付属佐倉病院に転勤
97年同病院看護部長。
2001年日本私立学校振興・共済事業団東京臨海病院に転職。
2011年認定看護管理者取得。
2017年東京都看護連盟会長。
2023年2月より現職
助産師としての経験を礎に地域で活躍する看護職に光を照らす
――では、続いて高橋会長お願いいたします。臨床経験の始まりは助産師だったとお聞きしましたが・・・・。
高橋:はい、助産師になりたくて医療短大に入学し、そこで、のちに国会議員になられて、法務大臣も務められた南野千恵子先生と出会いました。南野先生が働いていた病院は、たまたま私が生まれた病院だったこともあり、迷わず就職を決め、助産師としてキャリアをスタートさせました。
4年目になったとき、看護部長の勧めもあって厚生省(当時)の研修センターで1年間学ぶ機会をいただきました。実践を経てからの学びは大きく、あらためて臨床の楽しさに気づき、再び助産師として勤務しました。その後、以前からお声がけいただいていた看護師養成所に舞台を移し、基礎教育に携わることになりました。
しかし、一方で「臨床を続けたい」という思いも手放せず、大阪府助産師会に所属し、新生児訪問担当として初めて地域に赴きました。インターホンを押して玄関のドアを開けてもらうことの難しさや「住民主体」の真の意味を実感し、地域に関心を持つきっかけとなる経験となりました。
11年間の教員生活を通して、基礎教育の立場から臨床を見たときの印象と実際とのギャップを感じました。「目指すべき病棟づくりをしたい」と考え、師長として再び臨床に戻り、同時に大学院で学びながら、副部長、そして看護部長を務めました。
定年まで残り2年というタイミングで大阪府看護協会会長のお話をいただきました。働きながら感じていた「こうだったらいいな」を実現できる仕事だと思ったのでお受けしました。
大阪府看護協会長のときは、行政や各種団体等、臨床では見えなかった地域の中での関係性を学んだり、地域の助産師・保健師・介護施設で働く看護職の姿に触れたりして、たくさんの刺激を受けました。
公益社団法人日本看護協会 会長
大阪大学医療技術短期大学部看護学科から大阪大学医学部附属助産婦学校に進み、
1981年卒業。同年大阪厚生年金病院入職
86年厚生省看護研修研究センター看護教員養成課程
88年大阪厚生年金看護専門学校専任教員
教務部長を経て99年大阪厚生年金病院看護師長
2010年看護部長
その後、独立行政法人地域医療機能推進機構本部経営企画部看護担当副部長を経て
2016年公益社団法人大阪府看護協会会長
2023 年6月より現職
コロナ禍で看護職の価値を発信し獲得した処遇改善評価料
――新型コロナウイルスの対応で看護職は本当に頑張りました。それが処遇改善に結びついたことについてどうお考えになりますか?
高橋:コロナ禍の3年間、患者さんの命を守るために最前線で働く看護職のリアルな姿を社会に発信できたことは、地位向上や処遇改善を推し進めるためのチャンスだったと捉えています。
私たちがやっていることの意味や置かれている立場を説明したり、大変な現場を直接見てもらったりしたことで、市民の方たちや報道機関、議員の方々の意識が変わり、「看護職を支えてくださる」ことがわかったので、このタイミングで看護界が一つになろうと呼びかけました。そうした役割をいただけたことはありがたかったですね。
髙原:幸か不幸かコロナ禍で看護職の働く環境を国民に知っていただく機会になりましたね。診療報酬で新たに「処遇改善評価料」が新設され、国民の負担額が増えたにもかかわらず苦情が出ていないことは、「看護職の存在の意義を国民の皆さまに認めていただいた」と言える大きな一歩 でした。
当初20万人に1万2000円の予算だったものを57万人に拡大してもらう要望をし、「隔離されている患者さんたちのケアのためにレッドゾーンに入り、あらゆるサポートを看護師がしたということを理解した上でこのお金を出していただきたい」旨の話を伝えました。
このように、看護職が具体的にどのような場面で、どのように活躍しているのかについては、私たちが直接届けなければ理解を得られにくいのです。これからも機会を逃さず伝えていきたいと思っています。
高橋:今回、処遇改善に一石が投じられたものの対象となったのは看護職の一部に過ぎません。アプローチを続け、さらなる対象の拡大を目指します。
看護職は「患者さんにとって必要なことだから」と思うと一生懸命取り組みますが、それを可視化してこなかった経緯があるため、患者さんは感謝こそ伝えてくれるものの、その全貌は見えていません。自分たちを客観的に評価してもらえるようにするためにはどのように社会に見せていくかも考えていく必要があるでしょう。
髙原:今まで自分たちの職業や具体的な仕事の中身をアピールしてこなかったのは、私たちが反省しなければならないことだと思います。さらに、医療費が増大している中で、「予防」のことももっと深く考えていく必要があるでしょう。この2点については、今後の要望としても力を入れていきたいですね。
予防のために看護職が地域で育む健康教育
高橋:日本看護協会も、地域で予防的な活動をしていくためにどのような形で地域の対象者にケアを提供していくかを検討しています。
特に、これから大切になってくるのが外来の場で、そこで活用できる健康教育や予防教育のセミナーを開催したり、病院・施設等の管理者の方々に向けて活動促進を進めたりしているところです。
助産師や保健師が地域で実施する新生児訪問や乳幼児健診、保健指導が、子どもを中心とした家族全体に関わる大きなきっかけとなり、そこから健康教育へとつなげられることが期待されます。核家族の時代に子育てをする親の負担は大きく、訪問等の機会に寄せられたさまざまな相談に対し、その場で健康教育を実施して解決へと導いていくことが可能です。
病院や施設で働く看護職も地域に出て、このような活動をする環境を整えられれば、キャリアの幅を広げられますし、それは医療費を抑えることにもつながっていくと考えています。
髙原:看護職には認定看護師や専門看護師、そして特定行為研修修了者など多くの専門性の高い看護師がいます。そのような方たちの活動によって、国民の皆さまの健康や安全・安心に貢献できること、またそれらが医療費削減にもつながるのではないかと思います。私たち看護連盟から、国会議員の方々にもしっかり伝えていきたいと考えています。
協会と連盟の連携強化で看護職の声を政策実現へと導く
――最後に、政策実現のためには看護連盟と看護協会の連携が、なぜ重要なのかを明らかにしていただけますか?
高橋:政策実現のためには、人々の暮らしを支えている行政に対して現場で活躍している看護職がさまざまな形で発信していくことが必要です。その声を確実に届けるには議員の方々との連携が欠かせませんし、私たちが意識的に議員たちに発信していくことが大切だ思っています。
髙原:議員の方々は医療や看護について詳しい方ばかりではないので、私たちからしっかりと働きかけていきたいですね。看護職は医療従事者最大の職能団体ですから、「自分たちのことは自分たちの力で解決するんだ」という意識を多くの看護職に持ってもらえたら、これほど力強いことはありません。
コロナ禍で直接、看護を語る機会や場所は少なくなってしまいましたが、看護連盟主催で現場の声が身近に感じられるような機会を持つことも有効だと感じています。
高橋:例えば「議員の方々が動いたことでこんなことが実現できた」という具体的な事例を紹介できるといいですね。日本看護協会は看護のより良い実践を数多く紹介していますから、そこに議員の方々が関わったプロセスや得られた結果が見えたら、自分たちがどのように行動すれば看護の現場がより良くなるか、理解が得られるのか、政策につながるのかがわかるのではないでしょうか。
髙原:その場を設定するのはさほど難しいことではありません。議員の方々に知ってもらうためには、地域や行政のあり方を考慮できる小さな単位、例えば看護連盟の支部単位から活動を始めて地方の議員の方々に理解していただき、それから少しずつ大きな波にしていくことも重要ではないかと思います。
高橋:そのためにも、まず自分たちが看護職の存在の大きな価値を実感し、ただ語るだけではなくその重要性まで伝えていく。こんなことで困っているが、どのように行政に働きかけたらいいのかと疑問に思ったら、解決に向けて、看護協会や看護連盟にアプローチする行動も必要ですね。
髙原:看護界が抱えるさまざまな問題を一つひとつ解決していくことはもちろんですが、政策実現のためには議員の方々とのコミュニケーションも並行して継続していくことが重要です。政策実現のチャンスを逃がさず、できるだけ多くの国民の皆さまや議員の方々に看護の実態を知っていただき、看護協会の重点政策が実現するようにしていくことが看護連盟の仕事です。協会と連盟双方が今後も協力し合い、看護の未来を創っていきましょう。
(2023年10月23日対談)
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2023 NOV-2024 FEB)
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