レポート
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【現地からの報告】令和6年能登半島地震における石川県看護連盟の支援活動

2024.08.24

発災後すぐに、そして継続して私たちができること

令和6年元旦に発生した能登半島地震。
金沢市にある石川県看護連盟は、1月2日から支援のために動きはじめました。その取り組みを同連盟の北村和子会長にご報告いただきます。

元旦に発生した甚大な被害

令和6年能登半島地震において、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに被害に遭われたすべての皆様に心からお見舞い申し上げます。
そして、現在も被災地支援、復旧に全力を尽くされている関係者の皆様に、敬意を表し、また、全国からのさまざまなご支援、ならびに温かい励ましやお見舞いのご連絡に感謝申し上げます。

令和6年能登半島地震における石川県の被害状況(6月25日現在・消防庁)を振り返りたいと思います。
[発生日時]2024年(令和6年)1月1日16時10分
[震源および規模・場所]石川県能登地方/規模マグニチュード7.6/志賀町と輪島市は震度7
[人的被害]死者260名(災害関連死含む)/重軽傷者1207名
[住宅被害]全壊8053戸/半壊1万6746戸/一部損壊5万9170戸

地震発生後、能登半島北部では、大火・津波・倒壊と甚大な被害が起き、水や電気等ライフラインが中断しました。また、陸路や通信が寸断されたことで孤立集落も残り、必要とする救助物資も届かず、被災者の皆様は大変困難な日々を過ごされていました。

甚大な被害があった名勝・見附島(珠洲市)

ぼら待ち櫓と道路の亀裂(穴水町)

厳しい状況の被災地の医療機関

石川県の10医療機関において、水、医療ガス使用不可等の被害が発生したほか、2医療機関においては倒壊の恐れもありました。また、高齢者関係施設146施設、障害者関係施設33施設で停電や断水被害が発生。危険のある建物内患者は、被害の少なかった金沢市や加賀地区、さらに隣県の富山県、福井県、岐阜県などにも転院措置が行われました。

奥能登4市町の病院で、稼働病床数が通常の2割にとどまり、一方、自宅が全壊した職員が多く、医師や看護師を含む約250人の4割が空き病棟で寝泊まりし、避難所から通勤する医療者もいました。

震災前から医療者が2割減となり、「縮む医療」に関係者の危機感は強く、離職者はさらに増える恐れがあるため、一層の人手不足が心配されています。

受け入れ病院・介護施設に感謝

救急患者や重症患者に対応している石川県内の急性期病院では、被災患者の受け入れにより病床が逼迫し、オーバーベッド状態となっている施設も多くありました。さらに被災直後に搬送された患者と2次避難所で体調を崩した人たちが加わり、その上、退院可能になっても行き先が決まらない人が多い状況になりました。

そのような中、一般の救急搬送を苦渋な思いで断る例もあり、「病院が介護化している」という声も出ました。

また、感染症の発生も多くの病院でみられました。
慌てて逃げることで精いっぱいだったのでしょう。足も衣服も泥まみれで、何も持たずに入院した患者に対して、看護師の献身的な看護の提供は患者の回復過程につながりました。私たちの訪問時、「本当に感謝されました」とスタッフを労う看護部長の一言が印象的でした。快く患者を受け入れていただいたことに、被災地の管理者の皆様からも感謝の言葉がありました。

発災後、最初に取り組んだこと

能登地域においては、このような甚大な災害は初めてでした。雪が降る寒い中、「みんな大丈夫だろうか」「何を優先し、どのようにしていけばよいのだろうか」と思いめぐらしました。日本看護協会の災害時ネットワークシステムを見ても、看護連盟の活動は見えません。模索しながらでも看護連盟としての活動を実践して考えたのは、「まず私たちがこれから行うことをすべて記録に残し、マニュアル化していく必要がある」ということでした。

表に発災直後から5月10日までの石川県看護連盟の活動をまとめました。情報を収集するとともに、避難所や施設を何度も「訪問」して頑張ってきた看護師に寄り添ってきたことをあらためて振り返りました。

発災後4カ月、現在の支援

2月9日から3月15日にかけて第1回目の「被害状況調査」を行い、以後、随時実施しました。5月2日現在で378戸の被害届が提出されました。

被災地の施設を訪問し、一人ひとりをお見舞いするとき、心込めた日本看護連盟と石川県看護連盟の連名の手紙を封筒に入れて、被災者に届けています。そして、被災者を受け入れていただいた多くの施設も訪問し、感謝を届けています。

その一環で、日本看護連盟・髙原静子会長の2度目の石川県入りが決まりました。2月の1回目には雪が降り、防寒着での訪問でしたが、2回目の訪問は新緑が芽生え、春らしさを感じる季節になっていました。今回は道路が復旧したので、私たちもまだ訪問できていなかった奥能登に向かいました。

まず珠洲市総合病院を訪問し、看護職の皆さんを労いました。大変な状況の中でも、皆さん明るく元気で素敵な笑顔で前向きに未来を語ってくれました。訪問施設はそのほか、公立宇出津総合病院、介護医療院恵寿鳩ケ丘、公立穴水総合病院でした。

髙原会長は訪問を終えて、「よりよい人生を共に築いていくために大切なのは、どんな状況においても人を尊重し、思いやりの心を持つ姿勢ではないか、と感じさせられた訪問でした」と述べられました。

公立穴水総合病院でを訪問して情報交換

公立宇出津総合病院(能登町)を訪問

介護医療院 恵寿鳩ヶ丘(穴水町)を訪問

珠洲市総合病院を訪問して災害支援物資を届ける

「看護連盟」だからできること

被害の大きかった地域の看護職はもちろん、石川県内全域、全国からの支援をいただくことで被災地は医療福祉の提供体制の維持に努めています。

今回の災害で「お互いの協力」「相手を思う気持ち」の大切さを知りました。そして、私たち看護職はいつもその気持ちを大切にしている素敵な仲間たちの集団だなぁとあらためて思いました。

私にはわからないことでも、全国都道府県のキャリアのある看護連盟会長様たちから、ご支援、ご指導を受けたことで切り抜けられたこともあります。本当にありがとうございました。嬉しかったです。

ここ数年は日本各地で災害が発生しており、常に危機にさらされています。日頃から災害に備えておくことがいかに重要であるか、今一度しっかり認識しておく必要があります。石川県看護連盟として、医療従事者として、当初は「今できることは何か」と暗中模索状態でした。しかし、今、能登半島地震の教訓をいつか活かすことができればと記録を整理しています。

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プロフィール

北村 和子 Kazuko Kitamura

石川県看護連盟/会長

(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2024 JUL-SEP)

日本看護連盟のコミュニティサイト アンフィニ
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