2020.12.23
「大学生への包括的健康教育」プロジェクト立ち上げの経緯
N∞[アンフィニ]2019年新春号では、日本医療政策機構が実施した「働く女性の健康増進調査2018」の調査結果を寄稿させていただきました。 同調査では、女性の健康に関するヘルスリテラシーの高さと、労働生産性や健康行動、妊娠、不妊治療との関連性を明らかにしました。 同調査結果をきっかけに、経済産業省が実施している健康経営銘柄の認定要件の必須項目に女性の健康が2019年度から入り、 女性の健康に関する取り組みに力を入れる企業が増えてきています。
一方、同調査では、働く女性2000名の9割以上が「リプロダクティブヘルスや女性の健康に関する情報について学生のときにもっと学びたかった」と 回答しました。また、20〜30代の6割を超える女性たちは「子宮や卵巣の病気について知識がない」と回答し、自分自身の身体に関連することであるにもかかわらず、 多くの女性たちのヘルスリテラシーの低さが明らかになりました。
小中学校、高等学校では、学習指導要領に基づきリプロダクティブヘルスに関する授業が実施されています。しかしながら、前述の調査結果からもわかるように 知識の定着度については十分とは言えません。さらに高等学校卒業後は、将来のキャリアや結婚、家族計画等ライフプランを具体的に検討しはじめる重要な 時期にもかかわらず、リプロダクティブヘルスに関する授業は多くの教育現場で行われていないのが現状です。
そこで、日本医療政策機構では、リプロダクティブヘルスがより身近かつ、自分事になる機会が増えるだけでなく、キャリア形成やその後のライフプランを 具体的に検討し始める時期である高等教育の時期に焦点を当て、リプロダクティブヘルスに関する包括的健康教育の介入調査を実施しました。
包括的健康教育とは
国際連合教育科学文化機関( UNESCO : United Nations Educational,Scientific and Cultural Organization )では、若者のリプロダクティブヘルスの 増進を目的とし、包括的健康教育の標準となる「国際セクシュアリティ教育ガイダンス( International Technical Guidanceon Sexuality Education )」を 発行しています。本ガイダンスは日本で認識されている生殖に特化した内容が中心の性教育とは異なり、人権に関する内容や人間の発達において自然な要素で あるセクシュアリティの概念が多く含まれています。
本プロジェクトにおいても、包括的健康教育を、性に関する健康教育に限定するのではなく、自分と周囲の人がそれぞれ持つ価値観や生き方を尊重し、 様々な人生の選択肢を知った上で、将来のライフプランを検討、実現していくために今必要な性や身体に関することを包括的に学習することができる教育と定義しました。
調査方法
本調査では、日本医療政策機構が「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」等を参考に分野を超えた専門家の意見を収集した上で、
大学生向けの包括的健康教育を実践するための独自のプログラムを構築しました。そして、本プログラムに基づいて性と生殖に関する専門家で
ある助産師が都内3大学の大学学部生約230人を対象に対面で講義を実施し、講義の前後と3か月後に本プログラムの効果測定を目的とした調査を
オンラインアンケートにて行いました。
なお、本講義内容および調査は様々な性的指向や性自認を持つ方々についても十分に配慮、尊重をして実施しています。
調査結果のポイント
本講義を受講した約97%の大学生が包括的健康教育の講義は大学生にとって必要だと思うと回答しました。さらに、約87%の大学生が包括的健康教育の
講義を大学入学時のオリエンテーションに入れ、全員が受講すべきだと思うと回答し、大学生らの高いニーズが明らかになりました。
さらに、包括的健康教育は、学生のリプロダクティブヘルスに関する意識変容や行動変容をもたらすことが示唆されました。
その一方、リプロダクティブヘルスに関する知識不足、性暴力や性的同意が行われていないケースの存在、リプロダクティブヘルスに関する
相談相手がいないこと、婦人科・産婦人科の受診に対するハードルが高いといった大学生を取り巻く課題が浮き彫りになりました。
性感染症
中学校や高等学校で使用する保健体育の教科書の中でも性感染症については取り上げられています。しかし、本調査結果では、約86%の大学生が 性感染症に対する正しい知識が不足していると回答しました(図1)。これは、初等中等教育での性教育ではキーワードの列挙にとどまることが 多いというヒアリングで得られた教育の実態がその一因として挙げられます。一方で、本プロジェクト内で構築した教育プログラムでは、 具体的な感染経路や疾患別の症状、さらには性感染症と妊娠等のライフプランへの影響にも言及したため、新しい知識を習得したと感じる学生が 多かったと考えられます。さらに、3か月後の調査では、約29%の大学生が本教育をきっかけに性感染症を予防するための行動が変わったと回答し、 包括的健康教育の効果が一定程度認められました(図2)。
性暴力・性的同意(セクシュアルコンセント)
性的同意( セクシュアルコンセント)という言葉の認知度は約72%と高かった一方で、本講義内容を踏まえて過去を振り返ってみると、
これまで自分や身の回りに性暴力や性的同意が行われていない場面があったと思う学生が約42%もいるという実態が明らかになりました(図3)。
これより、言葉の定義だけでなく、具体的な事例を交えながら説明をした本講義のような教育介入は、学生にとって、性や健康に関する情報を
正しく理解することに繋がるということが示唆されました。さらに、3か月後の調査では、本講義以降の3か月間に性暴力や性的同意が行われていない
場面に遭遇した学生のうち66%が「講義前と比較して対処行動が変化した」と回答しており、こちらの項目に関しても行動変容がみられています(図4)。
婦人科・産婦人科の受診
婦人科・産婦人科の受診について、本講義をきっかけに受診しようと思った人が約61%にのぼりました。一方、3か月後の受診率は5.7%と低く、 意識変容した学生らが実際に婦人科・産婦人科に行きやすくなるような仕組みづくりが求められます(図5)。
本調査結果を踏まえ、行政や医療・教育現場のみならず、社会全体で取り組むことができるよう、産官学民の専門家・当事者からのヒアリングも実施し、 下記3つの政策提言を作成しました。
提言1:幼少期からの包括的健康教育の導入・充実と大学生(専門学校、短期大学生等、同世代の若者を含む)への包括的健康教育の機会創出の必要性
本調査結果の包括的健康教育に対する大学生のニーズの高さから、まずは大学等の高等教育機関において全ての学生が包括的健康教育を受講できるような機会の創出が求められます。
さらに、前述したUNESCOの「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」では5歳からの包括的健康教育が推進されており、本ガイダンスを指針に教育を実践している多くの
OECD諸国と比較すると日本は大きく後れをとっています。
以上より、リプロダクティブヘルス教育の改革には、幼少期からの包括的健康教育の導入と大人になるまでの継続的な教育機会の提供を両輪として推し進めていく必要があると言えます。
提言2:包括的健康教育のコンテンツ、および提供者・提供方法を工夫する必要性
本教育プログラムのコンテンツは、全ての項目ごとに基本的な知識、ライフプランとの関連性、追加情報の掲載先、相談機関リストについて網羅できるように作成しています。
また、教育の提供者として、具体的な医療現場や地域の現場を知る助産師が講義を担当したことは学生から肯定的に評価されました。特にヒアリング結果において、
助産師は科学的根拠に基づいた医学知識を有していること、さらに、日々の現場であらゆる年代の女性やその家族に一番近いところでケアを提供しており、
若者を取り巻く現状や実態に合わせて具体性のある話ができるといった点が高い評価を得ました。その結果、大学生のヘルスリテラシーの向上および具体的な場面における
意識変容や行動変容がみられています。
これらの結果より、本教育プログラムのコンテンツや提供者を活用した教育が多くの大学に頒布されることが求められます。
提言3:学生を相談機関や医療機関へ繋ぐ仕組み作りの必要性
本調査結果より、「性に関することについて相談できる人がいない」という回答や、「月経や月経前症候群により学業のパフォーマンスが普段と比べて半分以下になる」と
回答した女子学生が約37%いる一方で、3か月後の婦人科・産婦人科の受診率は5.7%でした。
女性が自身の健康状態を把握するために、婦人科・産婦人科を受診することは重要です。しかし、本調査からも婦人科・産婦人科の受診は心理的なハードルが高いという
結果が明らかになっており、まず自身の月経状態を把握し、その上で婦人科・産婦人科受診の必要性がわかるような仕組み作りを構築し、受診行動を促す必要があります。
リプロダクティブヘルス・リテラシーの向上に向け看護職が行動すべき時
新政権になり、不妊治療の保険適用や緊急避妊薬(アフターピル)の規制緩和の検討が開始される等、リプロダクティブヘルスに関する政策が大きく動きだそうとしています。
これらの制度や支援を推進していく上でも、制度や支援を利用する当事者たちやそれを支える周囲、さらには社会全体のリプロダクティブヘルスに関するリテラシーの向上は不可欠です。
今回の調査は大学生を対象にしたものですが、若者を含むすべての人に対しエビデンスに基づいた健康教育を実践することのできる医療職として、
今まさに私たち看護職が行動すべき時だと思います。
(掲載:機関誌N∞[アンフィニ]2021年JAN-APR)
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